自らを「パーキンソン病のキーパーソン」永六輔さんが語る「高碕達之の荘川桜」

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「便利が不便」の開発という名の破壊

◆便利になって、よけい不便になることがある。本末転倒だ。

永六輔さんと荘川桜

◆永六輔さんの晩年は、自らを「パーキンソン病のキーパーソン」と笑い飛ばして旅をした。自身、満身創痍だった。足首を捻挫し、肩も脱臼。ズボンを履く時、バランスを崩し大腿骨の骨折もした。それでも、リハビリをし、電車に乗り、全国を行脚した。その、永六輔さんの「おしゃべり文化 -会う人はみんな僕の薬-」の中に「荘川桜(岐阜県高山市荘川町中野)」の桜の木の話が出てくる。

◆御母衣湖ダムを建設する際に、川沿いにあった村を水没させたのだそうだ。しかし、その時に「桜」だけは移植したという。「荘川桜」という。樹齢は450年と推定される2本のエドヒガンの古木だ。ごく淡いピンク色の花弁とごつごつした幹が特徴だという。樹高約20m、幹囲目通り約6mと巨木だ。「荘川桜」の映像

高碕達之のことば

◆高碕達之(「電源開発」の初代総裁)の碑文であるがそばに立っている。その要旨を永さんが紹介している。

碑文

「日本の産業のためにここにダムを作ることを決意した。しかしその工事で、沈んだ三つの村が大反対をし、壮絶な闘争が繰り返された。その闘争がいかに素晴らしい闘争だったか、今私たちはその反対運動をここに称えておきたい。その素晴らしい反対運動を押し切って工事を完工し、ダムを作ってしまった。そのために文化財を沈め、お寺を沈め、学校も何もかも沈めた。ただ寺にあった桜だけは助けたかったから、ここへ持ち上げて移植した。桜以外のものは全て潰してしまった。その責任を我々は永久に負わなければいけない。我々はここで滅ぼしてしまった者への責任を永遠に追い続けていくであろう」

◆永六輔さんはこの碑文を読み、日本中探しても、共同体が存在していた記録、生き物が住んでいたという記憶はあっても、それを惜しみ、反対運動を称え、責任を負い続けていく覚悟の文章などないと非常に感動したという。

◆そして、永さんはこう結んでいる。

「公共事業にかぎりません。新しいものを創るとき、発明するとき、それによって失われていくものに対する責任を明らかにしなくとはならない」のだと。

たとえば高速道路が延伸すると

◆高速道路が延伸したとのニュースの陰で「道の駅」が、高速インターの近くに移転するという。絶好のロケーションにある「道の駅」である。この道の駅ができる前に大層繁盛した釣り堀、温泉付きのドライブインもすでにない。たぶんコンビもなくなっている。ということは、県境までの海岸線を走る国道7号線、車で40分休憩するところはない。

◆高速道路の整備は、ほんの数分の所要時間削り出すために、単調な景色とまっすぐな道路とトンネルだらけの高速道路を作り上げた。その間結果「道の駅」や「ドライブイン」、あるいは「温泉街」や「老舗旅館」が廃れた。当然である。近くにインターができ、一時的には流行っても、結局大きな街が目的地なのである。高速道路で途中下車などしないだから。

「便利が不便」、「幸せが不幸」

◆住民の動きも変わる。高速道路が通ると、なぜかその隣にバイパスができる。田んぼの真ん中を2車線道路だ。大層便利である。朝晩のラッシュが緩和されている。(私など通勤時間が半分以下になった)。そして、やがてバイパスの繋ぎ目に巨大なショッピングモールができあがる。

◆結果、駅前通りも銀座通りも閑散としている。シャッター街だ。高碕達之の「新しいものを創るとき、発明するとき、それによって失われていくものに対する責任」などという発想は全くない。気がつけば強者が弱者を飲み込み、やがてその強者もさらなる強者に飲み込まれる。そして、空店舗だけが残る。「便利が不便」、「幸せが不幸」、「光が影」の関係だ。

今日も深呼吸と合掌とオンニコニコと一筆付箋写経

深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。

「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。

◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」といつでも清々しく保つための術「付箋写経」の輪橋山徒然話でした。

 

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