「梓はダウン症で…」是松いずみ先生の授業より
◆瀬戸内寂聴さんは言う。
『お子さんに「何のために生きるの?」と聞かれたら、「誰かを幸せにするために生きるのよ」と答えてあげて下さい。』
それはこういうことだと教えてくれるお話がある。
◆福岡県の是松いずみ先生のお話である。
◆先生は平成6年にダウン症を持つあずささんを授かった。3番目のお子さんだ。是松先生が平成14年に先生が担任する小学5年生の学級で行ったのが「あずさからのメッセージ」という授業だ。
◆是松先生夫婦は、もともと障がい児施設でボランティアをなさっていたこともあり、我が子がダウン症であるという現実も割に早く受け止めることができたそうだ。
◆しかし、迷いがあったという。2人の子たちにどう知らせるかということだ。
◆先生はある日お風呂の中で上の2人の子に話したそうだ。
◆「あずさからのメッセージ」(授業の始まりである)
先生は母として梓さんと息子、娘と4人でお風呂に入りながら「梓はダウン症で、これから先もずっと自分の名前も書けないかもしれない」と伝えた。
息子は黙って梓の顔を見つめていた。そして、しばらくしてこんなことを言った。
◆「さあ、息子はなんと言ったでしょう?」(是松先生の発問)
教室の子どもたちは口々に答えた。
「僕が代わりに書いてあげる」
「私が教えてあげるから大丈夫」
等々
◆先生は、この問いかけによって、教室の一人ひとり子どもの持つ優しさがグッと引き出されるように感じたという。
◆しかし、実際に息子さんが言ったのは次の言葉だった。
「こんなに可愛いっちゃもん。いてくれるだけでいいやん。なんもできんでいい」。
◆この言葉を紹介した瞬間、教室の障がいに対する認識が少し変化したように感じたそうだ。つまり、「自分が何かをしてあげなくちゃ」と考えていたのが、「いやここにいてくれるだけでいいのだ」と子どもたちの価値観が揺さぶられたのだ。これは、子どもにとって、いや人間として、大事な気付きであり、大きな変容であり、成長だ。
◆第二問は上の娘さんの話だ。
ある日、娘さんが「将来はたくさんの子供が欲しい。もしかすると私も障がいのある子を産むかもしれないね」と言ってきたことがあったそうだ。
先生は「もしそうだとしたらどうする?」と彼女に尋ねた。
ここで再びクラスの子たちに質問だ。
◆「さて娘はなんと答えたでしょう?」
「どうしよう……私に育てられるかなぁ。お母さん助けてね」
クラスの子どもたちの不安はどれも深刻だ。
(子どもたちにも、もちろん私にも難問だ。)
◆さて、実際に娘さんが言ったのは次の思いも掛けない言葉だった。
「そうだとしたら面白いね。だっていろいろな子がいたほうが楽しいから」
クラスの子どもたちは一瞬「えっ?」と息を呑むような表情を見せた。
◆マイナスがプラスに振れた瞬間だ。いいなぁ。最高の授業だ。
※ 『致知』2013年2月号 致知随想を参考にしました。
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