輪橋山徒然話12-10 「弥勒菩薩の救済」
何を思惟して 頬に指おく み仏よ 荻原井泉水
◆荻原井泉水(おぎわら せいせんすい 1884〜-1976年)の句である。
◆この「頬に指おくの み仏よ」は、背筋を伸ばし、右足を左足の上に組んで坐具に坐り、右手の中指を頬に当てて思案する半跏思惟像であろう。このお姿は、人びとを救済する方法を考えているご様子を表しているという。
◆広隆寺の弥勒菩薩半跏像や中宮寺の菩薩半跏像が有名だ。特に中宮寺の菩薩半跏像は写真家土門拳さんの作品にもあるが、これは如意輪観音であるので、広隆寺の弥勒菩薩半跏像を荻原井泉水は詠んだのであろう。
◆「何を思惟して」であるから、何をお考えになっているのか弥勒菩薩さまは。そこには、「今すぐにでも救済して欲しい」との荻原井泉水の強い願いが込められている。今日もお動きにはならないという嘆きも聞こえてきそうだ。
◆しかしながら、弥勒菩薩は未来仏というお役目がある。弥勒菩薩は現在、兜率天にある。そして、お釈迦さまの滅後「五十六億年七千万年後」に下界に降られ、仏となって人々を救うという菩薩である。まだ、お釈迦さまの滅後たったの約2500年しか経過していないことを思えば、まだまだ先のことである。しかし、世界に広がる戦争、紛争。救済の前に地球そのものがなくなってしまいそうで心配だ。そう思うのは私だけではないだろう。
◆大丈夫である。なんと「50億年」は地球がなくなる心配はいらないそうだ。なぜなら、地球が滅びるのは、太陽が死んだ時なのだから。
◆そもそも、金属と岩でできている地球は、環境破壊が続いたり、または、核戦争が起こったとしても簡単になくなったりはしない。地球に住む我ら人類と全ての生物が滅びるだけなのである。
◆太陽の寿命はわかっている。今から「50億年後」だ。この太陽が死ぬ時には、今よりもかなり大きく膨張する。その巨大な太陽に地球は、飲み込まれ、跡形もなく溶けてしまうというシナリオだ。空想ではない。そのようなことが必ず待っているのだ。
◆ところで弥勒菩薩の「五十六億年七千万年後」と「地球が太陽に飲み込まれる50億年後」近い数字である。ひょっとして弥勒菩薩の救済とは、地球が滅びる時のことなのかもしれない。
◆その時まで人類は生存しているのであろうか。
◆地球の現在の年齢は45億年だ。かりに地球上から人類が滅び、全てが消え去ったとしても45億年あれば、現在と同じ進化の頂点にある人類が生まれるかもしれない。そう、あと50億年あるのだから、もう一回りは間に合う計算になる。
◆さて、どのような救済のシナリオなのだろう。
※荻原井泉水は「生命を表現すること」を主張し,自由律俳句の理論確立と実践につとめた。自由律俳句とは、季語や五七五にとらわれないことをいう。「何を思惟して 頬に指おく み仏よ」は「八・七・五」である。季語は不明なのだが、10月の句に分類されている。
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