輪橋山徒然話 2024-4-3 「人生の選択」と「名こそ惜しけれ」(司馬遼太郎)
「ヤクーバとライオン」(ティエリー・デデュー・作 柳田邦男・訳)は二部構成で「勇気」と「信頼」の二つのテーマからなる。今朝はこの話をもとに「人生の選択」について考えてみたい。
◆主人公のヤクーバはアフリカの少年だ。
アフリカの奥地にある小さな村。今日は少年たちが戦士になる特別な日。主人公ヤクーバにとっても大切なお祝いの日だ。
戦士になるためには 逞しい勇気があることを示さなければならない。その条件はライオンと一人で戦って倒すことだ。
夜明けを迎える頃、ライオンを探していたヤクーバの目の前についにライオンが現れる。ところが、目の前のライオンは夜通し別の敵と戦い、力尽きていたのだ。
ヤクーバがしとめることも、たやすいことのように見えた。
◆ライオンは言う。
「お前が私を止めるのはたやすいことだろう。」
「お前には二つの道がある。」
◆ライオンが目でヤクーバに、2つの選択肢を突きつけたのだ。
「私を殺せば立派な男になったと言われるだろう。それは本当の名誉なのか。」と。
「もう一つの道は、殺さないことだ。」
「そうすればお前は本当に気高い心を持った人間になれる。」
「どちらの道を選ぶか それはお前が考えることだ。」と。
◆さて、ヤクーバは、どんな決断をしたのだろう。みなさまはどうだろう。
ヤクーバは気高い心を持った人間になる方を選択した。つまり、「弱ったライオンを殺してでも周囲に認められる」ことを潔しとしなかったのだ。ライオンに手をかけずに村に帰ったのだ。
その結果、仲間の少年たちが「名誉」を与えられ、ヤクーバは、村のはずれで牛たちの世話をする仕事を与えられる。周囲から軽蔑され、戦士にはなれなかったのだ。
◆しかし、ヤクーバの牛は ライオンに襲われることはなくなった。もちろん他の動物にも。
◆そして、このお話は第二部の「信頼」に続いていく。劇的な展開…それはまた別の機会に。
◆さて、ヤクーバの行動は日本人の「名を惜しむ」ということばで説明できる。作家の司馬遼太郎さんは、「名こそ惜しけれ」という考え方が日本人の心の元になっていると次のように語っている。
日本史が、中国や朝鮮の歴史とまったく似ない歴史をたどりはじめるのは、鎌倉幕府という、素朴なリアリズムをよりどころにする”百姓”の政権が誕生してからである。
–略
「名こそ惜しけれ」。はずかしいことをするな、という坂東武者の精神は、その後の日本の非貴族階級につよい影響をあたえ、いまも一部の「すがすがしい日本人」の中で生きている。
(『この国のかたち』)
◆「自分という存在にかけて恥ずかしいことはできないという意味」だ。武士道として日本人のルーツとなり背景となる心の持ち方である。まさに、「清々しい日本人」。弱ったライオンに情けをかけるヤクーバの心である。忘れてないかヤクーバの心を。
他人に利益を与えても「驕り(おごり)」は生じない。
まして「報酬の期待」など生じない。
自分自身を楽しませているにすぎないからだ。 (入菩薩行論)
インドの高僧寂天のことばである。
加筆修正して再投稿
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