「もはや戦前」
◆2013年12月4日の朝日新聞天声人語に次のような記事がある。
10年前のバイデンさん
◆「結婚式で 酔っぱらった親戚のおじさん」といえば、なんとなく想像がつく。本人はいい調子だが、あらぬ事を口走らないかと周りは気が気でない。
◆これは、当時の米国副大統領。現在のバイデン大統領の評である。当時は口の失敗が多く、それもこの人の魅力でもあるらしいと書かれていた。
◆彼の履歴で印象に残るのは、「私が最も見たくないものは日本の核武装だ」という発言だ。上院の外交委員長だった彼は、安全保障の演説をしばしばこう締めくくったそうだ。そして、東アジアの秩序の機微がよく分かる人であるというのがその評価だった。
◆10年前の12月バイデン「副大統領」は、東京から北京に飛んだ。そのときは「中国」が設けた東シナ海の防空識別圏が問題になったようだが、現在の状況は当時よりも、切迫している。それは「我が国」の防衛費増大の問題、「我が国」の敵基地攻撃能力保持、「我が国」を取り巻く世界情勢の変化がそれである。
◆2013年12月4日の天声人語は、読みの浅さも深読みのしすぎも、対応の誤りを招きかねないと釘をさしていた。そして、何より、一緒に熱くなっても得はないとまとめてあった。
「新しい戦前」
◆さて、昨年12月28日放送の『徹子の部屋』でのことである。その年最後のゲストはタモリさんだった。
◆番組の中で、黒柳さんから「来年はどんな年になるでしょうかね」と問われたタモリさんは、少し考えて「誰にも予測できないですよね」と前置きしながら「新しい戦前になるんじゃないですかね」と答えたそうだ。黒柳さんは「新しい戦前……」と言葉を継いで、他の話題に移ったということだったが、この発言がこの年末で一番印象に残る言葉だった。「新しい戦前? あなたは気がついていないのですか、もはや戦前ですよ」とも聞こえる。暗い予言だ。
◆このタモリさんを受けて、「だいたいどの程度拳を振り上げたらこちらから攻撃してもいいのか、基準はあるのか」「ならば防衛費を2倍に増強したら、他国から拳を振り上げたとは思われないのか」等々とラサール石井さんか反応した。(日刊ゲンダイデジタル1/5)
振り上げた拳
◆そうなのである。防衛費を2倍に増強という数字には、もう同じ土俵にあがっているのかもしれないという危うさがないのかということだ。いつでも振り上げた拳は行き場に困るのだ。なぜなら、それは「一度手を出してしまった事案に対して、手を引けなくなったさま」であり、北の国の争いのように「引っこみがつかない」「今更引き下がれない「無かったことにできないし、引くにひけない」の状況に陥るのである。抑止力という言葉がそもそも威嚇に聞こえる…。
寂聴さんの平和論
◆瀬戸内寂聴さんは戦争反対だった。「大本営発表だけを聞かされていたから。負けてるのにちょうちん行列していた。そんなおばかちゃんでしたね、私も国民も。戦後、焼け跡の残る東京を見て、これからは自分の手で触って、手のひらに感じたものだけを信じて生きようと思いました。それが私の革命です」とインタビューにも答えている。
◆その上で「新しい憲法は敗戦後、米国に押しつけられたと言うけれど、負けて勝ち取ったものですよ。すごい犠牲の上にできた憲法なんだから。もしも、日本が九条を守らないようなことがあれば、世界を欺き、うそをついたことになる。戦争しません、しませんって言ってきたのだから。みっともないことだと思う」(手のひらからの平和論 東京新聞 )
◆「世界を欺き、うそをついたことになる。戦争しません、しませんって言ってきたのだから。みっともないことだと思う」それは、重い、重い言葉であり覚悟だと思う。
◆そして、言えるのは国と国の間でも、隣・近所でも、家庭でも、親戚でも、社会でも、学校でも、あらゆる場において人は拳を振り上げてはならないのだ。「熱くなっても得はない」というより、なにより、人が拳を振り上げてしまえば、それこそ「徳」がなくなるのだ。品格という「徳」である。
今日も深呼吸と合掌とオンニコニコで
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
コメント