「毀他(きた)」は「そしり」「けなす」行為、結局自分の心を汚すことになるのた。

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輪橋山徒然話 2023/11/29「毀他戒(きたかい)」

◆人が何人か寄ると、おかしなものであの人はいい人だという話しはなかなか続かない。

◆公のテレビ番組もその通りだ。ワイドショーは、始めは真面目なテーマで話していても、やがて豹変。「言いたい放題」ぶりにチャンネルを変える。更にYouTubeなどではもっと過激なトークがもてはやされているという。

◆「言いたい時に言いたいことを言う」ことが認められているのが現代社会だ。学校でさえ保護者が教師に対して暴言、罵詈雑言であっても「モンスター」と恐れられるだけで「罰」はない。しかし本当にそうなのだろうか。

◆仏教では人を悪く言うのを「毀他(きた)」と言い、「べからず」の意味で「戒」を加えたのが毀他戒だ。毀(き)は土でできた入れ物を壊すという字の成り立ちを持っていて、そこから「そしる」とか、「けなす」という意味になった漢字だ。「人をけなすべからず」とういう「戒」が本日の「毀他戒」だ。

◆そもそも、何故にこの戒があるのか。それは、人を「そしり」「けなす」行為が、結局自分の心を汚すことになるからだ。たとえば「けなす」ことが多ければ「認め、褒める」ことが少なくなる。一方が増えれば一方が減るそんな関係なのだ。しかし、他人を「認め、褒める」ことはそんなに大切なことなのであろうか。

◆人はどのような時に他人を「認め、褒める」だろう。それは、「自分自身が、まだまだだ」と向上しようと思った時だ。そんな時、素直に相手を認め、学ぼうとする。そして、「そしり」「けなす」行為をやめるのだ。つまり、「そしり」「けなす」行為は向上心と反対向きなで、「そしり」「けなす」とき人は向上心を無くしているのだ。

◆教員していて気がついたことがある。「厳しい親」と「受容的な親」を比較した場合、受容的な親を持つ子どもは人気があるという事実だ。当然である。人気のある子どもは、失敗した子に「いっしょにもう一度やってみようよ」と声をかけるが、厳しい家庭の子どもは「なぜできないの」とか「そうじゃないよ」という。何気ない言葉が違っていたのだ。

◆「なぜできないの」「そうじゃないよ」は立派な「そしり」なのである。

◆「なぜできないの」「そうじゃないよ」「何回言ったらわかるの」と言われて育ってきた子はそれが自然に相手への言葉になって出てしまう。相手だけではなく、自分への「そしり」言葉になっているかもしれない。そういうものなのだ。

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