「ほっこり話」と「我利我利亡者」
◆今朝は、バス停留所で起こった「ほっこり話」と「我利我利亡者」について考える。
「自利利他」
◆こんな話を聞いた。
バス停留所のファインプレー
それは、小雨の寒い日のことだったそうだ。
「お先にどうぞ。」
その方は話はじめた。
いつものバス停留所。
あいにくの長い列。
バスが入って来た。
ずいぶんと混んでいるようだ。
全員乗れそうもない。
乗れたとしても五、六人だろうか。
その時、列の一番後ろにお年寄りが並んだそうだ。
すると、ちょっと振り向き、一番後ろの若者が言った。
「お先にどうぞ。」
お年寄りはちょっと驚いた顔をして、
「ありがとうございます。」
そうしたら、 その前に並んでいた女性も
「お先にどうぞ。」
「ありがとうございます。」
前に並ぶ人たちはどの人もにこにこと笑って、そのお年寄りを最前列までに押し上げた。お年寄りは、これはこれはと頭を下げて、バスに乗ることができた。
するとどだろう。バスの中でも、お年寄りは「ここにどうぞ」と席を譲られた。
「お先にどうぞ」がつながった小さな奇跡・ファインプレーだ。みんなほっこりした気持ちになったろう。
いつの間にか冷たい雨が上がって、虹がでた。
という話だ。
「我利我利」
◆私はこの話を聞いて、我利我利(がりがり)亡者の登場する「極楽の箸はなぜ長いのか」を思い出した。
「極楽の箸はなぜ長いのか」
◆舞台は地獄の食堂だ。
◆地獄も極楽も食卓には大変なごちそう。箸も同じ。ただし長さが三尺三寸。地獄の住人はご馳走を前にして上手に食べられずに怒っている。なにせ、箸の長さが三尺三寸。99.99cm。隣の人にぶつかり大げんかとなる。ご馳走を前にして一口も食べられない。喧嘩と争い。地獄に落ちた「我利我利亡者」だ。
◆一方、極楽の食堂では、極楽の住人は長い箸を上手に使って向かい側のテープルの人に食べさせてあげている。「お先にどうぞ」これが「自利利他」。「ありがとう。おいしいね。」今度はあなたがどうぞ。
「自利利他」
◆このお話のとおり、「自利利他」は、まず、先に他人を喜ばせる、すると次は幸せが自分に返ってくることなのだ。つまり、「人のため」が「自分を救うこと」になるのだ。
情けは人の為ならず
「我利我利」
◆「自利利他」の自利とは自分の利益(りやく)のこと。利他とは他人の利益のことをいう。その「自利利他」と反対の意味を持つのが、「我利我利」だ。欲の心や、怒りの心、恨みの心や妬みの心の本性がこの「我利我利」だ。そう、我利我利は、自分さえよければ他人はどうなってもいいという考えなのだ。
◆「我利我利」はその逆で、「人の不幸」が自分に返ってくるのだ。つまり、他人を苦しめることは、結局のところ自分を苦しめることなのだ。
幸せな人生は
◆幸せな人生は、一人では成すことはできない。自分だけが、バスに乗れば幸せということはないのだ。情けは人の為ならずなのだ。
お寺から
今日も深呼吸と合掌とオンニコニコと一筆付箋写経
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」といつでも清々しく保つための術「付箋写経」の輪橋山徒然話でした。
コメント