「退屈」は本来の目標に、再チャレンジし精進してこそのみ解決されるのだ。

蝶ブログ

退屈はスマホやゲームで解決されるものではない

◆一日5時間以上スマホやテレビなどのスクリーンを見ている人は、48%が自殺願望を抱いたことがあるという調査結果がある。一日1時間以内それは28%であるので、およそ2倍の数字になっている。

◆スマホ依存症という依存症もある。

◆この依存とは、薬物中毒と同じで、特定の物質の使用や行為が精神的、身体的になくてはならなくなり、自分ではコントロールできなくなる状態を指す。

◆例えば「ゲーム依存」は、2018年にWHOによって病理と認定された。ゲーム依存症患者は、アルコール中毒、ギャンブル中毒患者と脳の状態が酷似した状態となっている。また、SNSにおける「いいね」も、その評価にドーパミンが放出されるという。やはり、中毒性の高さが指摘されている。

◆依存症のチェックリストは以下の通りだ。

□LINEなどの返信が来ないと気になる、頻繁にチェックしてしまう
□常にスマホが手元にないと落ち着かない、不安になる
□食事中もスマホを見ていることがよくある
□風呂やトイレにもスマホを持ち込んでしまう
□人と話しているときもスマホをチェックしてしまう
□スマホを見ながら眠ってしまうことがある
□起床するとまずスマホをチェックする
□歩きスマホをしてしまう
□外出中にスマホの充電が切れると不安感に襲われる

◆一つでもあれば、要注意だ。

◆なぜ、人は簡単に「依存症」になってしまうのか。その理由は、「仕事にならない」もそうなのだが、やはり「退屈」だからだ。

◆退屈とは、関心が持てずに、時間を持て余している状況に嫌気がさしている時に生まれる感情だ。怒りや不安、悲しみより頻繁に現れ、ある意味不明瞭な感覚なのだが、この退屈さを払拭するために人間は肉体的・精神的に刺激の多い活動を求めるようになっている。

◆退屈をしのぐメカニズムとは、没入感・集中力、そして充実感という、やめたくてもやめられない気持ちを作り出すことだ。その主役は、脳のドーパミン。このドーパミンの大好物の一つが大量の情報なのだそうだ。

◆現在のスマホは、短い文章・映像を駆使し、集中力を途切れさせないようにし大量の情報を垂れ流す。つまり、画像の刺激・音の刺激・高速なストーリー展開。それが、脳のドーパミンを刺激し、無意識のうちにスマホに手を出させるのだ。

◆悪いことに「同程度の刺激では満足できなくなっていく」というのが、悲しいかな人間である。同じ刺激ではドーパミンは満足しないのだ。「もっともっと」その要求は際限がない。

◆退屈は、もともとは仏教語で、「屈して退く」ことだ。仏道修行の苦しさや難しさに仏道を求める心が退き、精進、努力する心を失うことを意味しているのだ。とすれば、本来的には退屈は、脳のドーパミンでごまかすだけでは、解決できないものなのだ。

◆「退屈」に対峙するとは、一旦退き、屈したものに再び挑むこと、本来の目標に、再チャレンジし精進してこそのみ、解決されるものなのである。

◆とすれば「退屈」は、本来の意味に立ち返らせ、自分を振り返る「チャンス」の言葉ともいえよう。取り敢えず、なぜ「退屈」なのか考えるのだ。

読んでいただきありがとうございました。

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