遺体と死体と命のバトン
過去無量の
いのちのバトンを受けついで
いま ここに自分の番を生きている
◆今回の輪橋山徒然話はこの「いのちのバトン」について考える。
死体と遺体の区別
◆犯人は「死体」で被害者は「(ご)遺体」。もしもこれを逆にすると犯人の「(ご)遺体」で被害者の「死体」。これではおかしい。
◆「死体」と言ったり「遺体」と言ったりと様々な呼び方があるが、実はしっかりと区別されているのである。
◆「遺体」は人格を主体にした言い方で、辞書の中には「死体よりていねいな言い方」「死体に比べて、死者への敬意がこめられた表現」などと説明してある。このため被害者には「(ご)遺体」を使うのだ。
◆かのNHKでも極力「遺体」を使うようにしているそうだ。ただし、生死がそのニュースの主要な内容である場合などは、生死を端的に伝えるために「死体」を使うこともあるのだが。
◆そのほかにもいろいろな言い方がある。例えば、「亡骸 (なきがら)」は、遺体と同じように、死者への敬意が込められた表現であり、「屍 (しかばね)」は者に対する敬意が込められていない表現だ。「骸 (むくろ)」は、首のない死体やその胴体を指す言葉で、死骸 (しがい)は対象が動物。人間の場合には、野外に放置された死体という意味になる。
「遺体」の意味
◆本日は「遺体」の意味を少し掘ってみたいと思う。小学館『日本国語大辞典 第三巻』によれば、二つの意味になる。②はここまで書いてきた通りの「遺体」である。
① 父母があとに残した体。すなわち、その(父母の)子。ゆいたい。
② 死んだ人のからだ。なきがら。死体。遺骸。
◆それでは、①の「父母があとに残した体。すなわち、その(父母の)子。ゆいたい。」とはどのような意味であろうか。
◆①の意味するところは、例えば「両親」の遺体は「両親」であるとともに「あなた自身」であるということを指すのだ。つまり、父や母が遺した身体とは「あなた自身」の身体であるということなのだ。現代社会にあって「ゆいたい」が意味することが遺伝子DNAで解明されている。けれども、ずっと太古の昔から人はそれを知っていたと思う。「ゆいたい」に込められた願いを我々はないがしろにしてはいないだろうか。
「自分の番 いのちのバトン」を生きるとは
◆つまり、あなたが、いま生きているということは、その体の中に、祖先やご両親の生命がこれからもずっと一緒に生きていることなのだ。相田みつをさんの「自分の番 いのちのバトン」(朗読)なのだ。
「自分の番 いのちのバトン」 相田みつを
父と母で二人
父と母の両親で四人
そのまた両親で八人
こうしてかぞえてゆくと
十代前で、千二十四人
二十代前では ?
なんと、百万人を超すんです
過去無量の
いのちのバトンを受けついで
いま ここに
自分の番を生きている
それが
あなたのいのちです
それが わたしの
いのちです
「過去無量のいのちのバトン」の意味
◆遺体とは「過去無量のいのちのバトン」である。そして過去から受け継がれてきたものは、それぞれの役目の中で、次の世代へ引き継いでいかなければならないものなのだ。それは、「いのち」であろうし、「思い」でもあろう。あるいは「願い」でもあろう。
◆このことが理解できれば、毎日のお仏壇での手を合わせるコミュニケーションはちがってくるはずだ。写経や墓参りもよろしいだろう。
◆今、こんな田舎でも新築の際、仏壇間を作らない。それはそうだろうと思う。しかし、小さくてもいい、千代紙をはった箱の仏壇でもいい。ご準備してはどうか。ご先祖さまとのコミュニケーションは必要だ。きっと私たちに何かを教えてくれるはずだ
◆目に見えるものだけで、この世の中はできてはいない。あるいは、見えていても気がつかないだけかもしれない。それを知っているか、感じられるかで全く違うと思う。
今日も深呼吸と合掌とオンニコニコと一筆付箋写経
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」といつでも清々しく保つための術「付箋写経」の輪橋山徒然話でした。
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