板橋興宗禅師の極楽のお話
◆幸せはどこにあるのだろう。板橋興宗禅師に「西方十万億土の極楽のお話」がある。
極楽を目指した男
◆本日の輪橋山徒然話は、西方十万億土の極楽(幸せ)を目指した男の話だ。
西方十万億土の極楽
一人の若者がいた。
男は聞いた。西の方、十万億土里先に極楽浄土があると。
男は是非そこまで行きたいと思った。
船を求め、海に出た。
そして、毎日、毎日 力のかぎりこぎ続けた。
もう半分の道のりは来ただろうと思った頃、西の方から 一隻の船が近づいてきた。
「もしもし、極楽浄土まであとどれくらいでしょうか」と尋ねた。
「極楽浄土は、ここから西の方に十万億土里かなたと聞いている」と船頭は答えた。
西の方に十万億里かなた
男は驚いた。
しかし 今さら引き返すわけにはいかない。
また 精魂尽き果てるまで漕ぎ続けた。
西の方から一槽の船がやってきた。
「極楽はまだ見えないのか」と問うと
「極楽浄土はここから西の方に十万億里かなたと聞いている」と船頭は答えた。
どうせ死ぬならと
男はがっかりした。
もう進むに進めず、帰るに帰れず、絶望のあまり、海に身を投げようと思った。
男は、どうせ死ぬなら、せめて郷里の方を拝んでからにしようと、首を回した。
自分と極楽浄土は一体
そのとたん「あっ」
なんと求めていた極楽浄土がピッタリ自分の背中にヒッついていたのだ。
船出するときから、自分と極楽浄土は一体だったことに男は気がついた。
全てが極楽浄土での出来事
◆板橋興宗禅師はお話を次のように結んでいる。
◆人は、極楽浄土の中で生まれ、成長し、年老いそして、死んでいく。人生とは、苦しみも、悲しみも全てが極楽浄土での出来事だ。極楽の中に地獄があるのだ。どう転んでも極楽なのだと腹は決まれば、七転八倒の苦しみの中にも、どこかゆとりを持ち、泣いても腹の底で笑っていられると。
騎牛求牛
◆そして、板橋興宗禅師は説く。
苦しい旅は無駄な旅だった。しかし、この無駄な努力なしに、男は極楽の中の自分に気がつかなかったのだと。
◆「騎牛求牛(うしにのってうしをもとむ)」。探している牛に既に乗っていながら、それに気づかずに牛を探し続けることだ。自分の既に持っている幸福に気づかないこと愚かさをいう。
◆貪る心を滅せねば、死ぬまで自らの手の中にある幸せに気がつかないぞ。求めるものは外にではない。いつでも手の内にあるのだぞ。禅師のお声が響く。
今日も深呼吸と合掌とオンニコニコと一筆付箋写経
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」といつでも清々しく保つための術「付箋写経」の輪橋山徒然話でした。
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