『あんた誰?』と聞かれたら『はじめましてセツコと申します。今日からよろしくお願いします』と言いなさい

いのち

輪橋山徒然話 2024-7-5 「初めまして、セツコと申します」

◆「住職さんは聞き上手 釈徹宗のだから世間は面白い 晶文社」に「初めまして、セツコと申します」という話がある。

◆小説家で医師でもある久坂部羊さんとの対談の中で釈徹宗さんが話されていた。二人の対談のテーマは認知症とその家族の介護だ。

◆ある日50代前半ぐらいの奥さんがご自宅で仏教塾をされている和尚さんのもとに相談に来たそうだ。

「自分は嫁いでからずっと病弱で入退院を繰り返す義理のお母さんを介護してきた」という。和尚さんが「大変でしたねぇ」と言うとそれは全く大変じゃないと。義理のお母さんはすごくいい人で、お世話が嫌だなどとは思ったことは一度もないと。

◆しかし、このお義母さんが認知症になり、ある時、義理のお母さんに食事を持って行ったら「あんた誰?」と言われたといわれたという。

その一言に奥さんはショックを受け、いくらなんでも、何十年も世話をして来た自分にそれはないだろうと怒りが収まらないというのが相談だ。

◆和尚さんは次のように3つのアドバイスした。

① 認知症は脳が壊れる病気で壊れていくのはお母さんのせいじゃない。
② また腹の底であんたを悪く思ってということでもない。
③『あんた誰?』と聞かれたら『はじめましてセツコと申します。今日からよろしくお願いします』と言いなさい

◆それから一年ほどしてまた奥さんがやってきた。

「母が亡くなりました。和尚さんに言われた通りにしてよかった。初めましてとあいさつすると母も機嫌がいい。私も腹が立たず最後まで憎み合わずに済みました」と。

そして、最後に明日は入院するという日のことだ。朝食を持って行ったら、「ありがとう世話になった。あんたこの優しい人やと言われた」と義母に言われたそうだ。

◆そして、義母は次のように話を続けたそうだ。

「でもあんたが足元にも及ばない人がおる。うちの嫁やねん。あの人にありがとうがいえへんかったのが心残りや」と。

「そのお嫁さんは今どこに居るんですか」と聞いたらもう死んだと答えたらしいですけど。

◆釈徹宗さんは、「日常の記憶も目の前の人が誰かという理解もガタガタに崩れたような人でも、この人は自分にとって大事な人だという意識は最後まで残る」とまとめている。

◆認知症の理解について久坂部医師は次のような興味深いコメントをしている。

今言われたように、認知症には周辺病状のイメージが強いので自分が認知症になることを恐れる人は多いですよね。でも私がこれまで見てきた患者さんの中に、認知症になったことを悔いている人は一人もいません。自分が失われるのは嫌だ、子供に迷惑をかけたくないと言っていた人でも、実際になってしまったらそんな不安は全て消え去る。病気の心配もなければ死の恐怖もない。私の父もそうでしたけど、最後に死を恐れずにすむのはありがたいことだと思うのです。

◆「認知症とは天の恵み」なのかもしれないと。さて皆様どうでしょう。

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