輪橋山徒然話 2023-12-9
◆ほっとする話から。
◆その方は、たぶん「徘徊」なさっていたのだろう。夕暮れ刻、私は帰宅途中、運転中に歩道で転んで立てないでいるおばあさんを見つけた。真っ赤な血。サンダルを履いて、コートも着ていない。
◆車を止めて声をかけた。「だいじょうぶとしかいわない」。あまり表情もない。その方を起こし、たまたま通りかかった若いカップルに託し、近くの交番まで走った。私は、子どもの頃から、とりあえず「交番」を頼る。
◆その場にもどると、先ほどの若いカップルが、怪我したその方を挟んで道端に座っている。何か一生懸命話しかけているようだ。しばらく4人でパトカーを待った。夕暮れの早い今の季節の出来事だ。
◆さて、昨日の「リール」で取り上げた『徘徊と笑うなかれ』である。
『徘徊と笑うなかれ』
藤川幸之助
徘徊と笑うなかれ
母さん、あなたの中で
あなたの世界が広がっている
あの思い出がこの今になって
あの日のあの夕日の道が
今日この足下の道になって
あなたはその思い出の中を
延々と歩いている
手をつないでいる私は
父さんですか
幼い頃の私ですか
それとも私の知らない恋人ですか
妄想と言うなかれ
母さん、あなたの中で
あなたの時間が流れている
過去と今とが混ざり合って
あの日のあの若いあなたが
今日ここに凛々しく立って
あなたはその思い出の中で
愛おしそうに人形を抱いている
抱いている人形は
兄ですか
私ですか
それとも幼くして死んだ姉ですか
徘徊と笑うなかれ
妄想と言うなかれ
あなたの心がこの今を感じて
◆作者である詩人の藤川幸之助さんは24年間認知症のお母さんの介護をなさった。その体験が「支える側が生かされていく」という詩集にある。お母さんは認知症との闘病の中で次第に記憶と言葉を失っていく、その命に葛藤し、寄り添い続けた藤川さんの紡いだ詩なのだ。
◆この詩について藤川さんは以下のように述べている。
◆私は「できる、できない」「分かる、分からない」で向き合っていましたが、母には「感じる、感じない」は残っていました。母の心は若い頃の自分に戻り、若い頃の世界をしっかり生きていました。頭の中に広がっている世界に生きているという意味では母も私も同じ。そう思えた時、正常な世界と異常な世界という区別が消えていきました。その体験から生まれたのが『徘徊と笑うなかれ』という詩です。
支える側が支えられ
教える側が教えられ
育てる側が育てられる
◆「支えている」と思っていたものが、実は「支えられていた」。「与える側」だという思いが、与えられていたのだと気がつく時、氷が溶けるように、不自由が自由に変わったということなのだ。
◆介護されるものは、介護されていることも知らない。認知症という混迷と無秩序の中に生かされ続ける母。その母を「お母さんはおれの大切な人ばい」と介護する父。その父の遺言で母の命を託され、母への父の愛を噛み締める息子。
◆その遺言をスタートに、週末に母の介護のために帰郷する生活が始まる。
◆土曜日の午前は授業し、午後二時まで次の週の準備。そして、長崎から熊本の母のもとにいく。午後7時に施設につき、母を施設から連れ出して、翌日また施設に母を預けるという遠距離介護生活だ。綺麗ごとでは済まない介護の苦労と現実と葛藤がそこにはある。
◆それでも藤川さんには「詩」という力があった。その「詩」の中にある幾多の葛藤。命に向き合う詩人の眼だ。それは、うまくはいえないのだが人間だけに与えられた言葉の力だと思う。
参考 支える側が支えられ 生かされていく 自選 藤川幸之助子詩集 致知出版
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