「怒りが先行した荒々しい言葉」は何も生まない。
今日の輪橋山徒然話は、「その時の怒りの感情」のままに言葉を発するか、踏みとどまれるか…とくに「瞋 (とん) 」はあなたに返ってくる恐怖のブーメランになるのだぞという警鐘について考える。
「瞋 (とん) 」はあなたに返ってくる恐怖のブーメラン
◆今朝の徒然話は前回の投稿の「オンニコニコ」に出てきた「三毒」。
◆さて、お釈迦さまはいつもお説きになっている。荒々しいことばの罪悪を。
荒々しいことばを言うな。
言われた人々は汝に言い返すであろう。
怒りを含んだことばは苦痛である。
報復が汝の身に至るであろう。
(法句経10章 133)
◆法句経10章の「瞋から生まれる言葉」についての教えだ。キーワードは「報復」。解決したように見えて「怒りのことば」では、決着しないのだ。溝がさらに深くなるのだ。
「上から下へ」は「下から上へ」の逆転のブーメラン
◆それでは、「怒りを含んだ荒々しい言葉」は通常どのような関係性で生まれるのだろうか。普通に考えれば、それは、親から子、先生から弟子、親分から子分、社長から社員などだろうか。つまり、「上から下へ」の関係だ。
◆この「上から下へ」の関係は、昔からわが国では「長幼の序」といって大切にしてきた文化だ。スムーズな人間関係を結ぶために、終身雇用の社会での上下関係が利用にされてきた。
◆しかし、この価値観は通用しなくなっている。それは、尊敬されて初めて成り立つのが上下関係という現代なのだ。昭和の高度成長期のように「年上だから」だから「荒々しい言葉」を使ってよい時代は終わったのだ。それに気がつかない大人の多いこと。
◆何度もいうようだが、なによりも怖いのは「下から上へ」の逆転のブーメランである。そんなことはないと考えるのは誤りである。なぜなら、理不尽な弾圧がいつかは覆されるのは歴史の常だ。それにならって荒々し言葉は、「いつかは」言い返される運命なのだ。
キレる
◆便利な言葉がある。いつか言い返されるこのことを「キレた」という。あるいは、モラハラ。
◆教員として、学校現場にいたことがあるが、教師と子どもの関係悪化が原因の学級崩壊などそのいい例だ。一人が「キレた」途端に伝染する。親にも伝染する。あれはもう地獄だ。教師と子どもの立場が逆転している。しまいには、なんと不毛な裁判になったりする。
◆教員の保険制度の中には、随分前から「弁護士費用」という項目もあるくらいだ。トニカク、一度切れた「糸」は元にはもどらない。
「和顔愛語」と「先意承問」
◆お寺では、お釈迦さまの法句経に習い、「和顔愛語」を説く。「柔らかい表情と思いやりの言葉で人に接する」ことだ。さらに「和顔愛語」には続く言葉がある。それは、「先意承問」(せんいじょうもん)。意味は「先に相手の気持ちを察して、相手のために何ができるか自分自身に問いただすこと」つまり、和顔愛語は、「先意承問」の相手への思いやりといたわりがスタートなのだ。
◆世間的な立場が上の者が「先意承問」を心がけなければならない。もう一度、「怒りが先行した荒々しい言葉」は何も生まない。
◆もしも、荒々しい言葉や表情になりそうになったら、どうしたらいいだろうか。
今日も深呼吸と合掌とオンニコニコで
◆深呼吸で「心のデトックス」するのだ。一度息を全て「大地に」吐き出、次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れる。最後は「吐く息は細く長く」だ。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。怒りは速くなつた呼吸とともに治まるはずだ。「怒り」を吐き出し、やり過ごすのだ。
◆そして、いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
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