2024-4-14. 永六輔さんのことばから
◆世は無常である。それを見事に見切ったことばがある。
昨日と今日は、偶然並んでいただけでした。
今日と明日は、突然並んでいるのでした。
だから明日のない時もあるのです。
◆飛行機事故で亡くなった坂本九さんに、作詞家・作家の永六輔さんが手向けた言葉だ。偶然並んだ毎日。突然並んだ明日。明日は誰にも保証されない。
◆永六輔さんにこんな歌もある。
「生きているということは」
生きているということは
誰かに借りをつくること
生きていくということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように
誰かにそうしてあげよう
生きていくということは
誰かと手をつなぐこと
つないだ手のぬくもりを
忘れないでいること
めぐり逢い愛しあい やがて別れの日
その時に悔まないように
今日を明日を生きよう
人は 一人では生きてゆけない
誰も 一人では歩いてゆけない
◆人を待たせるのが嫌で、待ち合わせの一時間前には待ち合わせ場所に着き、待つのが流儀だったと言う。きっと、「借りはつくりたくない」「人の手を煩わせたくない」性格の永六輔さん。その方の病気が、徐々に体が動かなくなり、呂律が回らなくり、一秒間に6度も震え、鉛筆も持てなくなる難病だった。パーキンソン病だ。
◆永六輔さんの晩年は、この病との闘いだった。自らを「パーキンソン病のキーパーソン」と笑い飛ばしてはいたが、満身創痍だった。足首を捻挫し、肩も脱臼。ズボンを履く時、バランスを崩し大腿骨の骨折もした。それでも、リハビリをし、電車に乗り、全国を行脚し、病と闘う多くの高齢者を励まし続けた。
がんばって くたぶれちゃいけないんだ。
くたぶれないようにがんばらなきゃ 「話の特集」 追悼の無名人語録より
◆世は無常である。しかし、この無常の世を懸命に、言葉を武器に、そしておしゃれに、先に逝った人生の先輩がいた。「無常の、この世の生き方」の一つの答えでもあることばと覚悟、そしてユーモアを噛み締めたい。
◉永六輔さんは自由人である。その言葉は鋭く、切り取り方によっては令和の時代では「不適切」の発言の評価もあるかもしれない。しかし、その「こころ」は常に清々しく、令和の今にあってこそ、不「不適切」である。どうだろう。
▶︎今朝も最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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