ずっと気になっていた本を手に取ることができた。「キツネのねがいごと カトリーン・シェーラー」だ

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2023/10/7 「死なない体は死ねない体」

◆ずっと気になっていた本をようやく手に取ることができた。「キツネのねがいごと カトリーン・シェーラー(作) (訳)松永美穂」だ。

◆主人公はリンゴの木を持つキツネ。秋になるとキツネのリンゴをツグミがつつく。キツネもおくさんも年をとっていて、なす術がない。去年も、その前の年も、リンゴは全部食べられ、口に入らなかった。今年こそはとキツネは罠を仕掛けることにした。その罠に、やせっぽちのイタチがつかまった。

◆ここから物語が動き出す。

「助けてくれたら魔法で願いを叶えてあげる」とイタチは言う。

キツネの願いは、「りんごの木に登った動物は全部枝にくっついてしまうようー永遠に」だった。そして、その願いは叶えられた。

◆初めに木についたのは、二羽のツグミ。その後は雀とリス。それぞれが助けてくれと仲間を呼ぶのでキツネは魔法を解いてやる。リンゴを採ろうとするものはいなくなり、キツネは幸せだった。

◆そんなある日、死神がりんごの木の後ろに立っていたのだ。

キツネは言う。「いやだ、死にたくない」と。
そしてキツネはニヤリと笑い
「最後にリンゴを食べさせてくれ。あのきれいなリンゴをとってきてくれないか」と死神にねだる。

◆死神はりんごの木に上り、魔法にかかってしまう。動けなくなってしまうのだ。これでキツネは「死なない体」を手に入れた。俺はもう死なないとはしゃぐキツネとそれをみて微笑む死神がいる。

◆さて、この物語はどうなるだろう。

◆キツネの体はどんどん老いる。しかし、死なない。やがてキツネは気が付く。死なない体とは死ねない体だということだ。キツネの体は、骨が痛み、片方の目が見えなくなり、耳も鼻も全部失くした身体だ。それだけではない。子どもも孫も、友だちも好きだったものを全て無くしていたのだ。

◆キツネは死神を自由にする。死を受け入れたのだ。

◆表紙の裏にヨーロッパ緩和医療の第一人者で「死ぬとはどのようなことか―終末期の命と看取りのために」の ジャン・ドメニコ・ボラージオの次の言葉が載せられていた。

人間は常に確かなものを探し求めている。しかし人生に置いて唯一確かなことといえば、わたしたちがいつかは死ぬということである。それならば、この確かさの上に立って、人生を眺めてみるのが助けになるのかもしれない。

◆死を穏やかに受け入れられる人などそうはいないだろう。しかし、死は誰にでも平等にやってくる。だからこそ、まず「死」をゴールとして受け入れ、いつか死ぬというゴールから人生を眺め、「今」をとらえ、「今を生きよ」ということだ。

◆さて、この絵本の「死神」はどのように描かれているか想像できるだろうか。大鎌を持った骸骨などではない。なるほどと手を打つ絵だ。ぜひ手に取って欲しい。

「キツネのねがいごと カトリーン・シェーラー(作 西村書店

 

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