とりあえず「億劫」になったら、「ボケ」であることをまず自覚しなければならない>

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輪橋山徒然話 「老人性メランコリー」の撃退術 202312/4

◆ご存知だろうか。1976年の歌である。

緑のインクで手紙を書けば
それはサヨナラの合図になると誰かが言ってた
女はおろかでかわいくて
恋にすべてを賭けられるのに
秋だというのに恋もできない
メランコリー メランコリー

作詞は喜多條忠、作曲は吉田拓郎だ。梓みちよの代表曲だ。

私は「メランコリー」(憂鬱)という言葉をこの時初めて知った。

◆さて、十年以上も前から「老人性メランコリー」という言葉があるそうだ。

◆皆さまの周りに急に声をかけにくくなった人はいないだろうか。

◆その人は、「かかわり」を急に閉じ、近寄るなという雰囲気を醸し出す。巷の評判は道で会っても挨拶しなくなったとか「町内の係」を断られたとか…。決まって「前は、元気よく、率先して、真面目な」という形容詞が似合う先輩方だ。

◆若いうちには、無縁だが、年とともに危なくなり、忍び寄る。そして老を意識したころに忽然と現れる。これが「老人性メランコリー病」なのだ。

◆かつては、「老人性メランコリー」は、病気と認識されていなかった。しかし、現代では「うつ病」に見られる意欲の障害なのだとか。その病状は「やる気がおこらない」「気力の減退」「意欲が湧かない」「何をやっても面白くない」「何もやりたくない」などと表現される症状で、一言でいうと「何もかも億劫」。

◆初めの段階は、今日、明日、明後日くらいのことが、急に億劫になるのだそうだ。

◆「えっ?」そこまで聞いて、私も無縁ではない。いくつも思い当たる節がある。

◆私の場合で言えば、期限が明日の図書館への本の返却。家人と約束していた映画。2ヶ月前から予約を入れている眼科の診断、それから…。ちょっと出かければ、午前中で終わることである。実は、図書館でも借りたい本もあるし、映画も事前の下調べもし、ずいぶん楽しみにしていたはずだ。ちょっと身支度をして、時間に合わせて出かければいいだけなのである。しかし。突然「億劫」になる。例えるなら、新型コロナのワクチンをうったあとの数日のように全身がだるい感じで、気が重いのだ。

◆この症状がひどくなると、本を読む、仕事をする、家事をするといった「当たり前」なことに対する意欲が湧いてこないばかりではなく、ついには何もかもが、「しんどく」なってくるそうだ。ベッドから起きること、ご飯を食べることも、入浴や着替えをすることもだ。何の苦痛を感じることもなく行っていた日常の事柄が億劫になり、やがてできなくなっていくのだ。

◆多湖輝(たごあきら)さんという、「頭の体操シリーズ」で高名な心理学者は、この「老人性メランコリー・億劫」も脳と習慣の問題だとしている。(「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」)

◆「老人性メランコリー・億劫」を撃退する術として、「くよくよ」はボケ、「あれこれ」はボケないし、「ジョギングより散歩」など「術」を紹介している。その中に「キョウヨウ」と「キョウイク」がある。もちろん「教養」と「教育」ではない。

◆「教養」は「今日用がある」で「教育」は「今日行く所がある」だ。明日、明後日、明々後日と続く毎日を考えるのではなく、「今日」を楽しみに生きるということだ。

◆とりあえず「億劫」になったら、「ボケ」であることをまず自覚しなければならない。そして、これ以上「ボケ」たくなかったら、自らを鼓舞し、毎日の「教養」と「教育」を怠ってはならないということだ。

※ 一年前の話題を整理しての再ポストです。

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