今では全く考えられないが、公衆電話は時には人生のスクランブル交差点だ。

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#昭和   公衆電話の話

今では全く考えられないが、公衆電話は時には人生のスクランブル交差点だ。

「真夜中の電話賃」

◆対人トラブルの心理学 「かちん むかッ ぐさッ」(品川博二著)という本に、「真夜中の電話賃」という話があった。(1996年発刊 舞台は1970年ごろ 品川さんの学生時代)

※時代背景をわかる範囲で説明も入れてみた。

真夜中の電話賃

◆筆者がまだ学生だった時の話です。私は急な用事で、真夜中に電話をかけなくてはなりませんでした。アパートの自室を飛び出した私は、電話ボックスの中で失敗に気付きました。小銭入れに十円玉がないのです。この当時は、今のようなカード式ではなく、十円玉がなければ電話はかけられませんでした。小銭に崩したくとも商店街はすでに真っ暗です。事態は切迫しており、私は焦っていました。

▶︎説明

当時の赤電話というやつは、10円しかはいらない。都内は10円で3分話せた。田舎に電話するとたぶん5.6秒ぐらい。「金おくれ」「かあちゃん 金」「金 金 金」その当時の笑い話だ。

今のようなカード式」とあるがこれはテレフォンカードといって、現在の図書カードなどと同じ。使った分だけと穴があく。基本田舎からの電話はつながらない時代だ。どうしてもという場合は「チチキトク」の電報が届く。

1970年、吉野家もコンビニもまだない時代だ。24時間の店はなかったが、そのかわり夜があった時代だ。

次なる展開

◆事態は切迫しており、私は焦っていました。

そこにほろ酔いの労務者風のおじさんが通り掛ったのです。私は彼に駆け寄り、百円玉を出して両替を頼みました。突然飛び出してきた長髪の学生に、おじさんは、一瞬驚いた様子でした。このときは70年代の大学紛争の時期にあたります。

▶︎説明

70年代の大学紛争

「長髪の学生」はユーミンの「いちご白書をもう一度」の世界だ。

僕は無精髭と髪を伸ばして

学生集会へも時々出かけた

就職が決まって

髪を切ってきたときに

もう若くないさと

君に言い訳したね

あるいは、かぐや姫の「神田川」「赤ちょうちん」

当時は100円でかけそば一杯の値段だ。ちなみに物価は下のようだ。

大卒初任給(公務員)31.510円 高卒初任給(公務員)23.140円

牛乳:25円 かけそば:100円 ラーメン:110円 喫茶店(コーヒー):120円

銭湯:38円 週刊誌:70円 新聞購読料:750円 映画館:700円

話はそれるが、今日、仕方なく食べたラーメンは1000円より高かった。味も濃厚で、エビ・カニの味がした。申し訳ないが残した。もはやラーメンはラーメンではないのだ。

◆(私がひどく困っているという)事情がわかると、彼はポケットの中を探し始めました。そして彼の手には3枚の十円玉がありました。

◆今思い出すと本当に恥ずかしい話ですが、私はこのおじさんが百円と30円の不当な取引を私に強要すると思ったのです。

◆しかし私は、電話をかけなくてはなりません。私は少し躊躇しながら百円玉を差し出しました。

予想外の展開「百円いらねーよ。

◆するとおじさんは、「百円いらねーよ。この十円玉を使いな」予想外の展開でした。

有り難くいただく

◆そういってこう話したという。

「俺も昔誰かに電話賃を借りてな、それで今お前に返したからな。」オジサンの言っている意味が最初は了解できず私は戸惑いました。次の瞬間 私は胸の奥に熱いものを感じていたのです。

◆品川博二さんは、30円を見ず知らずのオジサンに有り難く頂いた。そして、同時に、いつか誰かに自分もその思いをつなげたいと思ったそうだ。「ボクも前に助けてもらったことがあるんですよ。では 今あなたにお返ししましたからね!」と。そして、こうお話を「少しの思いをやれ」とそれが「思いやり」だと結んでいる。

他人にやさしくされれば

◆「他人にやさしくされれば、自分もやさしくなれる」ということは、「やさしい人を育てたければ、まず、自分が人にやさしくすればよい」ということだ。それが、品川博二さんのいう「やさしさ」を育てる「思いやり」だ。

 

1980年という時代

◆コメントを頂いたので紹介する。

アパートでひとり暮らしを始めて2、3ヶ月経った頃、『スグデンワヨコセ ハハ』と電報が来ました。これは誰か事故に遭ったか危篤か‼️と坂の上の公衆電話に走りました。

私の頃は100円玉が使える黄色電話でした🤙息席切って震える指でダイヤル回しました。

◆電話の向こうではにぎやかな声。

「今いとこの〇〇ちゃんが来ててね、声聞きたいね〜ってなって電報打っちゃった!」

「もう〜‼️」

何もいらないから😂とお願いして何ヶ月か後に電話引いてもらいました。

◆1980年代頃はこんな感じだった。私の場合、もしも、田舎に帰らればならないときは、そのまま、友だちのところに走り、電車賃を借りて、夜行列車となった。

⭐︎対人トラブルの心理学「かちん むかッ ぐさッ」(品川博二著)は関西看護出版です。

お寺から

今日も深呼吸と合掌とオンニコニコと一筆付箋写経

深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。

「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。

◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」といつでも清々しく保つための術「付箋写経」の輪橋山徒然話でした。

 

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