やなせたかしさんは早く逝った弟と父との繋がりを魂に据え、観音さまのアンパンマンを誕生させたのだ。

冬の港町泣きそうそう
冬の港町

「やなせたかし おとうとものがたり」と観音様

◆「手のひらを太陽に」と「アンパンマン」などの作者であるやなせたかしさんには、千尋という名前の弟がいた。「やなせたかし おとうとものがたり-弟よ 君の青春はいったいなんだったろう-」を読んで、アンバンマンのモデルは、フィリピン沖で戦死した弟の千尋さんと観音さまであると思った。

◆最後の詩は「墓前で」だ。

墓前で         やなせたかし

寺島正路編「土佐名家伝」によれば
柳瀬家は香北の旧家とある

ひさしぶりにぼくは墓参した
3月すでに太陽は暖かく
山肌を黄色に染めていた

◆柳瀬家の墓は、高知県にある。両親と幼い頃別れ、二人は親戚の家に引き取られる。時は過ぎ、叔父、叔母、弟の墓参だ。三月彼岸の頃だろう。

弟の墓石はもう薄っすらと緑色に苔が生え
千尋の文字を縁取りしていた
墓石の下には何もない
小さな木札ももう朽ちたはずだ

◆「小さな木札」とは、「海軍中尉 柳瀬 千尋 バシー海峡の戦闘において 壮絶な戦死」と書かれた木札のことだ。弟のお骨は戻らず、骨箱にこの木札を入れて埋葬したのだ。千尋22歳、京都大学の法科の学生。バシー海峡とはフィリピン沖だ。

◆弟が海軍特攻隊を志願した後、一度だけ会えたという。その時弟は「僕はもうすぐ死んでしまうが兄貴は生きて絵を描いてくれ」と。それっきりだ。やなせさんは中国の戦地へ。

風は僕の頭上を吹く
とにかく僕は生き延びて

◆兄のやなせたかしさんも壮絶な戦争体験をし、日本に戻った。そして、父の遺徳を継いだ。

詩を書き 絵を描き 恥をかき
父から譲られたほんの少しの才能で
とりとめのない人生を
とりとめもなく送っている
詩と絵を愛した亡父の意思を
ささやかながらついている

◆そして、幼い頃亡くした新聞記者であった父の志を継ぐかのように創作活動に入っていく。父の志ともに弟の心をも繋ごうとした。

◆やなせさんは、自分は嵩(たかし)で山彦、千尋さんは海彦だという。

◆千載和歌集に千尋の海という言葉がある。

◆「尋(ひろ)」は水の深さや縄などの長さの単位だ。一尋は六尺(約1・8メートル)。だから千尋は1尋の千倍。転じて、非常に長いこと、極めて深いという意味なのだ。そして、この言葉は
誓ひをば 千尋の海に たとふなり つゆも頼まば 数に入りなむ
(千載和歌集 釈教 崇徳院御製)
からきている。観音さまの誓願(せいがん)は、千尋の海にたとえられるのだ。

◆誓願とは、観音さまが、一切の衆生の苦しみを救おうと願って、必ずこれを成しとげようと誓うこと。わずかでもお頼みすれば このわたしも救われる衆生のうちに入れていただけようという意味なのだ。まさしく千尋の観音さまだ。

◆やなせさんのアンパンマンも、「困っている人がいればどこにでも助けにいく」「困っている人に元気を与えるために自分の顔を与える」「自分のことよりも困っている人を優先する」まさに観音さまの菩薩道である。どこまでも深い千尋の観音さまの愛だ。

◆詩は次のように閉じられている。
(略)
何をしたかったのだろう
君の代わりにやるとすれば
ぼくは何をすればいいのだろう
思い出の中の弟は
まだとても小さくて
びっくりしたような眼をみひらき
「兄ちゃんわからないよ」
と恥ずかしそうにいった

◆主題歌のアンパンマンマーチにはこうある。

なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!

◆やなせさんは、若くして逝った弟と父との繋がりを魂に据え、自らを仕事に捧げ、観音さまのアンパンマンを誕生させたのだ。

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