024-5-3 「妻へ飛鳥へそしてまだ見ぬ子へ」
◆宇野重吉さんのナレーションを聞いて、一気に記憶が蘇った…。
◆1979年(昭和54年)、将来を嘱望された一人の青年医師ががんのため亡くなった。医師の名は井村和清さん、当時32歳。彼には、1歳6ヶ月の長女飛鳥ちゃんと2人目の子どもをみごもった妻の倫子さんがいた。
◆再発した癌、残された時間がわずかかしかないことを知り、彼は妻と娘、そしてまだ見ぬ子に宛て手記をつづり始めた…。
◆「NHK特集 妻へ飛鳥へそしてまだ見ぬ子へ」
放送年度は1980年度。宇野重吉さんがナレーションをつとめている。
◆宇野重吉さんによる次の語りで始まる。
三十二歳の若いお医者さんが癌に侵されてこの部屋で息を引き取りました。
自分がお医者さんであるために、
自分の命があと六か月だと診断した井村さん。
その残りのすべてを医療に尽くし切りました。
そしていよいよ立てなくなった死の直前、奥さんにはこの日記を。
そして一年と六ヶ月になる長女の飛鳥ちゃんと
まだ見ぬ子供のために
この手記を書き残したのです。
それは井村さんが亡くなられた後、一冊の本にまとめられ、関係者に配られました。
家族のために書かれた手記とは言いながら、その文章が人間の生きる意味について、医療というもののあり方について、読む人に大きな感銘を与えたのです。
◆「今日のNHK特集は、その井村さんの手記を私が朗読してお伝えいたします」と宇野重吉さん。
二人の子どもたちへ
心の優しい、
思いやりのある子に育ちますように。
悲しいことに、
私はお前達が大きくなるまで待っていられない。
私の右膝に発症した肉腫は、
私が自分の片足を切断する手術を希望し、
その手術が無事に済んだにもかかわらず、
今度は肺へ転移した。
今私は熱がある。
咳き込んで苦しい。
けれども腕が動く間に書いておきたいことがある。
これは、私が父親として、
お前たちに与えうる唯一の贈り物だ。
さようなら。
私はもういくらもお前たちのそばにいてやれない。
お前たちが倒れても、手を貸してやることもできない。
だから、倒れても、倒れても自分の力で起き上がりなさい。
さようなら。
お前達が、いつまでも、いつまでも幸せでありますように。
雪の降る夜 父より
◆「倒れても、倒れても自分の力で起き上がりなさい」に、井村さんは「生き方」と「願い」を込めた。そこには、甘っちょろい友だち親子にはない。先に逝くものが、後に続くものへ残した命がけの「エール」なのだ。
◉穏やかな海のような宇野重吉さんの朗読だ。寄せる波、引く波の如くだ。是非。
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