「名人伝」
概要 作者と登場人物
◆こんなによくできたお話はないと思っている。80年前、最高の教養が書いた名作である。
作者中島敦(なかじま あつし)
◆「名人伝」とは、1942年発表された短編小説である。
◆中島敦は中学国語掲載のの山月記の作者でもある。持病の喘息悪化のため33歳で夭折。中島撫山(ぶざん)の孫。従祖父、伯叔父、父と漢学一家だ。一高を経て、東京帝国大学国文科卒業。当時の最高の水準の教養の持ち主だ。中島文学の特色を、「自我や人間存在の不条理を追究」し「文体は古典的な格調がある」と評価されている。
◆山月記は悲壮感が漂う短編であったが、この名人伝には悲壮感はない。解釈も読み手に任されている。また、シニカルな面もあり、権威や大衆への批判もある。また、この主人公の修行、自己究明の果てが書かれているところが非常におもしろい。山月記(朗読)の印象から静かな人物を想像してしまうが、エピソードをちらりと覗くと、彼は漢文の素養が抜群だっただけではなく、「英語」も堪能で、快活な青年という側面も持っていたようだ。
名人伝の登場人物
◆紀昌(きしょう)→弓の名人を目指している男
趙(ちょう、古代中国戦国時代の国)の邯鄲(かんたん、趙の都)に住む。天下一の弓の達人を志し、飛衛に弟子入りする。
◆飛衛(ひえい)→弓矢の名手 紀昌の師匠
弓矢の名手として知られ、百歩を隔てたところから柳の葉を百発百中で射ることができると言われている。
◆甘蠅老→山岳に住む仙人。「不射之」を使う
第一の修行「まばたき禁止」
◆趙の邯鄲の都に住む紀昌は、天下一の弓の達人になることを決め、弓矢の名手で知られている飛衛を訪ねるところから、物語が始まっていく。
◆飛衛は、弟子となった紀昌に、まず瞬(またたき)せざることを学べと命じた。第一の課題は、「まばたきを禁じ」た。すると紀昌は、なんと「妻の機織り台」の下に潜り込み、目の近くを機械が動いても瞬きをしない修行を始める。眼とすれすれに機躡が忙しく上下往来するのをじっと瞬かずに見詰ていようという工夫であだ。
◆二年後には錐の先で目蓋をつかれても、火の粉が目に飛びこんでも瞬きをしないようになった。彼の瞼は、もはやそれを閉じるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、目はカッと大きく見開かれたままだ。ついには、その目に蜘蛛が巣を張るまでになる。紀昌は自信を得て、飛衛にそれを告げる。第一の修行は完了だ。
次の課題
◆飛衛の第二の課題は「小を視ること大のごとく、微びを見ること著のごとく視ることを学べ」だ。紀昌はどんな修行をして、この課題を克服するのだろう。
第二の試練「視る」
◆第一の試練は、「瞬き(またたき)」しないこと。機織り機の下に入り、機織り機見つめ続け、その結果、鋭利な錐で眼球を突かれても瞬きをしない能力を得た紀昌は飛衛に報告する。すると飛衛は、
「瞬かざるのみではまだ射を授けるに足りぬ。」と(まばたきをしないだけでは、まだまだと)
◆そして、飛衛は次の試練を告げた。
「視ることを学べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大のごとく、微を見ること著のごとくなったならば、来きたって我に告げるがよいと。」
(視ることを学べと。小さいものが大きく見え、かすかなものがはっきりと見えたら、報告にくるがよいと)
虱(のみ)を視る紀昌
◆そこで、紀昌がとった修行の方法は虱(のみ)を視ることだった。髪の毛につなぎ、それを窓にかけて一日中睨んで暮らすことにしたのだ。
◆修行の経過はこうだった。最初は、一匹の虱に過ぎなかったのが、時が経つうちに、気のせいか、ほんの少しながら大きく見えて来たという。そして、3ヶ月目の終りには、蚕(かいこ)ほどの大きさに見えて来たというのだ。
◆さらに、三年後。ふと気がつくと、虱が馬のような大きさに見えるようになったという。表へ出ると、全ての人は塔に、豚は丘に見えた。視る力を得たのだ。そして、紀昌は虱の心臓を射抜くことにも成功した。紀昌は、これを飛衛に報告する。
紀昌の腕前
◆ここではじめて師匠の飛衛は「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに射術の「奥儀秘伝」を紀昌に授ける。
◆この時の紀昌の腕前は次のように書かれている。
百本の矢をもって速射を試みたところ、矢矢相属し、発発相及んで、後矢の鏃は必ず前矢の括に喰入るが故に、絶えて地に墜ることがない。瞬く中に、百本の矢は一本のごとくに相連なり、的から一直線…。
◆つまり、最初の矢の括(後ろ)に次の矢が刺さり、またその次へと続く。100本の矢が一直線に繋がるのだ。これには師匠の飛衛も思わず「善し!」といったそうだ。
紀昌のよからぬ考え
◆相手が師匠といえども、自分の実力を試してみたくなるのだ。
宿命の対決
◆しかし、このお話はここで終わりではない。
◆天下一の弓の名人になるための「良からぬ考え」とはわかったろうか。答えは、「師匠のと自分」どちらが強いか確かめたくなってしまったのだ。「天下第一の名人となるためには、どうあっても師匠を除かねばならぬと」そして、弟子は師匠をつけ狙い始める。
◆師匠と弟子の対決は 「一人歩み来る飛衛に出遇う」ことで開始された。二人の戦いは「二人互に射れば、矢はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた」という。丁度真ん中で2人の矢が当たり、地に落ちる。何度試みても同じだ。互角の勝負だ。だが、最後の最後である。師匠の矢が尽つきた時、弟子は「一矢を余していた」のだ。
◆しかしながら、さすがは師匠。射られた矢をとっさにの野茨を折り、棘の先を持って叩き落としたという。この勝負は、両人の技がいずれも「神の領域」に入っていたことを証明した。二人は互いにかけよると、野原の真中に相抱て、しばし師弟愛の涙なみだにかきくれた。
新たな師匠甘蠅老師
◆師匠は、また弟子がよからぬことを考えないように次のようにいう。
「西の方の霍山(かくざん)の頂に甘蠅(かんよう)老師という斯道の大家がいると」
新しい師匠を紹介したのだ。
◆甘蠅老師は、山に住む仙人、「ヨーダ」(スターウォーズ)を想像してほしい。そして、甘蠅老師は紀昌の腕前を見ると言った。
「一通り出来るようじゃな」
「しかし、所詮射之射と不射之を知らぬと見える」
「射というものをお目にかけようか」
新しいテーマ「不射之」
◆「不射之」新しいテーマである。「不射之」とはいかなるものなのであろうか。
紀昌はすぐに気が付いて言った。
「しかし、弓はどうなさる?弓は?」
老人は素手だったのである。
「弓?」
と老人は笑う。
弓矢の要いる中はまだ射之射じゃ。」「不射之射には、烏漆の弓も粛慎の矢もいらぬ。」
その時、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画がいていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘蠅老師は、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引絞ってひょうと放ったのだ。すると鳶は、羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来きたのだ
◆この時の紀昌は「今にして始めて芸道の深い淵を覗いたような気がした」と。
◆こうして、紀昌は甘蠅老師の元で九年修行をすることになる。
さてさていよいよ大団円
「不射之」を会得した紀昌が都に帰ってきた
◆「ヨーダの如き甘蠅老師」の元で九年間の修行を終えた紀昌は、いかなる変貌を遂げたのであろうか。
◆都に帰った紀昌は、かつての精悍な面魂しいは影をひそめ、なんの表情も無い、木偶のごとく愚者のごとき容貌に変っていという。
飛衛のお墨付き「至射は射ることなし」
◆飛衛(最初の師匠)は、この顔つきを一見すると感嘆して叫んだ。
「これでこそ初めて天下の名人だ。我らのごとき、足下にも及ぶものでない」と。
◆師匠・飛衛に「天下の名人」のお墨付きを得た紀昌に、都の人々は「神技の披露」を期待したが、紀昌は懶(ものう)げに言ったという。
「至為(しい)は為(なす)無く、至言は言を去り、至射は射ることなしと。」
「最高の行いは、その行いをなさないことにある。最高の言葉は、沈黙にある。そのよう最高の射術は射ることにはない」という意味だ。紀昌は最高の技術とともに、禅にも「不立文字」という言葉がある通り、高い精神性をも完成させた証拠だ。
驚愕のエビソード
◆こうして、都で修行から帰ってきた紀昌は、「弓をとらない弓の名人」として都の人々の誇りになる。夜な夜な雲の上で古の達人と腕比をしているとか、渡鳥が紀昌の家を避けて飛ぶなどの噂が一人歩きするだけだった。ただ、一つの驚愕のエビソードを残して。
◆そのエピソードは次のような話だ。
都に帰ってきてもう少しで40年にもなるある日、老紀昌は知人に招かれた。そして、その家で一つの器具を見た。老紀昌には、確かに見憶えのある道具だが、名前が思い出だせず、その用途も思い当らない。そこで、老紀昌はその家の主人にたずねた。
「それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのか」と。
主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。
老紀昌が、真剣になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮うかべて、客の心をはかりかねた様子だ。三度、老紀昌が真面目な顔をして同じ問いを繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼をじっと見詰め、相手が冗談をではなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、叫んだ。
「ああ、老紀昌が、――古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」
◆その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠かくし、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたということである。
おわりに
「名人伝」のテーマとは
◆さて「名人伝」のテーマは何だろう。まず言えるのは、いろいろ考えられる「オープン・エンド」のお話だということである。答えが一つではないのだ。
例えば、
◉「全ての試練を愚直な修行に向かった紀昌のすばらしさと奥深さ」
◉「虚像つくりあげ、それを信じる大衆の愚かさ」
と様々考えられそうだ。皆さまはどう考えるだろうか。
ご案内
◆そして皆さま。「名人伝」と検索されると、青空文庫で、原作を読むことができますよ。更に有難いことに「朗読」多数公開されています。だいたい20分ぐらいです。聴き比べもおもしろかったです。是非。
◆名人に至る道と同様に、禅の入門書に「十牛図」悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したものがある。(物語ではない)こちらも是非。
仕事・人間関係の不安、迷いから解放される 「ZEN禅的マネジメント」(小森谷浩志)
今日も深呼吸と合掌とオンニコニコで
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
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