二十年も経つ。 さぞかし禅僧は修業を積んだであろう。 それでは、一つ試してみようと老婆は考えた。

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輪橋山徒然話2024-6-30「誘惑」

◆むかし、あるところに大家の老婆がいた。老婆は「禅僧」のために庵(いおり)を建て、衣食を送り、修業を資(た)すけることにした。二十年過ぎた。

◆ある日、老婆は思った。
もうかれこれ、二十年も経つ。
さぞかしあの禅僧もかなりの修業を積んだことであろうと。

◆それでは、一つ試してみようと老婆は考えた。

◆老婆は、自分の腰元の中でも、年頃で一番美人を選び、何やらそっと指示。そして、かの禅僧の修業している庵室へ行かせた。

「何やらそっと?」ひょっとして、まさかの「誘惑」だ。

◆かの僧は、室の中央に静かに坐禅を組んでいた。腰元は、そこへ近づき、いきなり禅僧にもたれかかり、そして「あなた…、どんな気持ち」と聞いたのだ。勿論、老婆の指示だ。

◆さて、20年修行した禅僧はどのような返事をしただろうか。

①  受け入れた
②  きっぱりと断った

◆禅僧は次のような返答をした。

禅僧は、顔色一つ動かさず、「枯木寒巌(こぼく-かんがん)に倚(よ)る、三冬暖気無し」と返答した。正解は②。

「まるで枯木が冷え切った岩に倚りかかったようなものさ、寒の真最中吹きさらしの気持ちだ」という意味になる。まあ、受け入れてしまったら大変なことになるのだが…。

◆腰元は、老婆のところへ戻って行き、一部始終を報告した。

◆さて、第二問だ。一部始終を聞いた老婆の対応は?

①  修行の成果を褒めた
②  自分の20年を後悔した。

◆老婆のとった行動は次の通りだ。

報告を受けた老婆は禅僧の謹厳(きんげん・真面目という意味)な様子に、感心するとの思いのほか、大変怒り「俗物の僧を永らく優待していた。私き見込み違いをしていた」と言って、その僧を追い出し、住まわしていた庵室まで穢(けが)らわしいと言って焼き払ったのだ。正解は②だ。

◆禅僧に対する老婆の激怒はすざまじい。老婆は「穢(けが)らわしい」と言って、庵室を焼き払い、禅僧を追い出した。

◆なぜ老婆は、戒律を守り、謹厳な僧の態度を「穢らわしい」と罵ったのだろうか。

◆作家の岡本かの子さん(岡本太郎さんの母)がこの話の解説を書いているのだが、まず禅僧にはまるで人間味がないという。「枯木寒巌のごとし」と言って澄まし返った僧の態度に、だ。一旦は断るにしろあるいは(永久に断るにしろ)、まず、相手の女性に恥をかかせてはいけない。だからといって、自分の品位も堕(お)としてはいけない。その場にふさわしい人情味のある処置と言葉がありそうなものだというのだ。

◆たとえばとして、人情味のある対応を次のように示している。

女性の気持ちを汲みながら、無邪気ににっこり笑って「あなたが私をどんなに愛して下さっても、私は仏に仕える身ですから、あなたの愛を受ける事が出来ません。さあ早くお帰りなさい」とでも言いきかせて、肩へかけられた手をそっと外はずしてのければ、よかったのだと。

◆二十年も修業して、誘惑に負けまいと、肩肘張る、未熟な偽物がそこにあると見破ったのだ。

◆そして、岡本かの子さんは次のように結んでいる。

「泥中の蓮の花」のように、雑多な野心や誘惑や愛欲の真只中に生きながら、その汚れに染まず、しかもその欲望、誘惑をうまく消化善用して立派な人格完成、絶対の安心、無上の幸福という花を咲かせるのです。

◆つまり、高い土地には美しい蓮の花は咲かず、低い泥だらけの沼地の中にこそ、花が咲くように泥が濃ければ濃いほど、立ち上がった蓮は美しい。一点の汚れもない。泥の汚れを否定し、遠ざけるばかりではならない。まして、急に訪れた女人が老婆の差し金であろうことなど知りながら、禅僧の「立場」のみでの対応、その器の小ささと20年という途方もない時間が許せなかったのだろう。そもそも仏の教えとは、汚れ多きこの世をいかにして、清々しく生き抜いていくかという教えなのである。

※「婆子焼庵(ばししょうあん)」禅の公案だ。

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