何か困っていると、声をかけてくる。オランダは無私の親切「GUNNEN  /  ヒュネン」の国なのだ。

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輪橋山徒然話 2023/11/1「GUNNEN ヒュネン」と情けは人のためならず

◆メーガン・C・ヘイズの「幸せに気づく世界のことば」を参考に、スエーデンの「LAGOM」は、もっともっとという欲望を抑え、過剰よりも適度を、熱狂的な蓄財よりも満ち足りた幸せを願うという言葉で、スエーデンの絶妙なバランス感覚の国民性を象徴する言葉であると以前ポストした。(→2023/10/21)

◆旅行客がオランダ、アムステルダムで立ち止まって地図を見ていると、進んで手を差し伸べてくれるそうだ。明らかに旅行客に冷ややかな他の都市とは違う。

◆その人助け、無私の親切を「GUNNEN  /  ヒュネン」という。

◆この言葉は、「誰かが何かに値すると思う 他人の成功を喜ぶ」という意味で、「容認する」「与える」という意味に近いが、それだけではない。「人は善なり」の「性善説」を含む言葉なのである。

◆親切に道案内したり、席を譲ったりする心遣いは、その心を受け取った人に潤いを与える。そして、その潤いは別の無私の親切を生み出す。親切心のドミノ効果がスタートするのだ。「性善説」とはそれを信じる気持ちなのだ。

◆さて、我が国にも同様な教えがある。

「情けは人のためならず」だ。「情け(情愛などの意)は他人の為だけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味だ。

◆その出典は新渡戸稲造「一日一言」(大正4年発売)の次の詩になる。

施せし情は人の為ならず おのがこゝろの慰めと知れ

我れ人にかけし恵は忘れても ひとの恩をば長く忘るな

情けは他人のためではなく自分自身のためにかけるものだ。だから自分が他人にした施しは忘れてもいい。それでも、人から良くしてもらったことは絶対に忘れてはいけないということだ。

◆しかし、文化庁の調査(平成24年)では半数近く(45.7%)が「情けをかけることは、結局その人の為にならないので、すべきではない」と誤った意味にとられている。そして、この読み誤りはなかなか改まらない。

◆「情けは人のためならず」は、「全てが自己責任だ」というワードを示す言葉に変容しつつあるのかもしれない。つまり、この国は全体の幸福の追求ではなく、個々の幸せの追求に夢中なのだ。そこに流れる雰囲気は「性善説」ではなく「性悪説」なのである。

◆「性悪説」で失われるのは「寛容の精神」だ。他人を許せないという「狭量」、「寛容の精神」のないところに全体の幸福は成立しない。それは、今、世界が抱える問題を見ればよくわかる。物価高、石油の値上がり、世界の皆が幸せにならないと自分も幸せになれないのだ。

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