何も持たない自分が這い上がるにはどうすればいいか。ボクシングしかないと思っていたそうだ。

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輪橋山徒然話  2024-3-21. 「あげっぱなしの愛を慈悲という」

◆何も持たない自分が這い上がるにはどうすればいいか。ボクシングしかないと思っていたそうだ。なぜなら、体一つで戦えるからだ。試合の前評判はいつも劣勢。試合も劣勢。しかし、もうダメかと万事休すと思った瞬間の幻の右。一発大逆転のガッツ石松さんだ。

◆中卒で上京。ファイティング原田さんの試合中継を見ていた時、ガッツさんは社長さんに「俺もボクサーになりたいから、ボクシングジムに通わせてください」と申し出た。

◆「おまえみたいな人間が、あんな偉い人間になれるわけがない」と社長さん。

◆「まだ十五だよ。ショックだったね。ああ、東京も田舎も一緒だ。俺みたいなやつにチャンスはないんだ」と思って、すぐに会社を辞めて田舎に戻った。

◆しかし、山、川、田んぼ、畑……。ふるさとの自然に抱かれているうち、「よし、俺はやっぱり東京へ行く」という思いが湧いてきたそうだ。

◆再上京する日、ガッツさんは、土方仕事へ出ていたお母さんに会いに仕事場に立ち寄ったときのことだ。

「もう一回東京へ行ってくるぞ」とガッツさん。

その時お母さんは泥だらけの手で前掛けのポケットから、ゴソゴソと一枚の千円札を差し出した。そして、ハラハラと涙を流し「偉い人間になんかならなくていい。立派な人間になれ」と言ったそうだ。

◆ガッツさんは言う。「言葉に力があった。すっと心に沁みた」と。その時にもらった泥のついた千円札はずっと使えなくて、いまでも大切に持っているそうだ。

◆使えないお札。立派な人間というワード。あのシーンもそうだった。「北の国から87初恋」。

◆中学校を卒業した純が、北海道富良野から家出に近い形で上京しようとした場面を覚えているだろうか。

◆黒坂五郎さんに純を託された無口なトラック運転手。体を硬くしている助手席の純。
運転手は言った。

「おまえの父さんは立派な人だ。おまえを上京させるために一日中働いて、そのお金を俺に渡した。手についた泥も洗う暇がないくらい必死に集めたお金だろう。そんな気持ちのこもった札を俺は受け取れない。父さんの気持ちのこもったお札は、お前が大事にとっておけ」と。

◆泥のついた二万円。全てを見抜き、教え諭す古尾谷雅人さんのトラック運転手さんも忘れられない。

◆「北の国から87初恋」のラストシーン。シリーズで1.2を争うと私は思う。

◆瀬戸内寂聴さんはよく「あげっぱなしの愛が慈悲なんですよね」と説く。今持っている全てを、なんの躊躇もなく差し出す「慈愛」。あげっぱなしの親の愛だ。ガッツさんのお母さんも黒坂五郎さんどちらもそうだ。だから心が揺さぶられる。

◆さて巣立ちの時だ。

※ガッツさんのお話は『致知』2005年5月号参考にしました。

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