悩み事が解決できればすっきりする。誰でもがそれを望む。しかし、それほど単純ではない。

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二ーバーの祈り

ニーバーの祈り(Serenity Prayer)
大木秀雄 訳

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気を我に与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、
変えることのできるものと、
変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

◆「ニーバーの祈り」は、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバー(1892–1971)が作者である。この祈りは、アルコール依存症克服や薬物依存症、神経症の克服を支援するプログラムに採用されている。この祈りは、悩める我々に一つの方向性を示している。

◆「変えることのできるもの」とは、サポートを受けながら、自らの力で「解決」できることである。それについては、勇気を持って、全力で「解決」にあたればよい。

◆「変えることのできないもの」とは、「解決」できないことである。「解決」できないことは「受け入れなければならない」という。そして、そのアプローチは「冷静でなければならない」という。一体、どういうことだろうか。

◆人の心の真ん中には、いくつものことを、同時に位置付けて置くことはできない。「受け入れる」ということは、今の心の真ん中に居座る「変えることのできないもの」を、二番目、三番目を経て、ずっと端の方に動かすことではないかと思う。

◆心の真ん中から移動させることとは、「今までの状態をリセットしていく」ことだ。つまり、「解消」することだ。「マイナスの感情をゼロに近づける作業」といってもよい。「対立」、「怒り」などの気持ちを「解消」へ方向転換するのである。心の真ん中から二番目、三番目とゆっくり、じっくり動かしていくのである。

◆例えば、最近よく「毒親」という言葉を聞く。「こんな親に生まれてきたくなかった」といくら嘆いても、生まれてきた事実は変えられないのに。これを「解決」することはできない。

◆しかし、「毒親」と「憎み、蔑むこと」が「自分」を「憎み、蔑むこと」と同じであると冷静に認識できれば、心の真ん中から少しずつ、後ろに、やがてはゼロに寄せようとするのではないかと思う。なぜなら、それが「自分の尊厳を守る」ことだからだ。少しずつ、少しずつ置き場所を、心の真ん中から、端の方に移していく。マイナスからゼロに近づけていくことが「受け入れていくこと」なのだ。そうすれば、自分の心の真ん中には別のものを据えることができよう。

◆悩み事が解決できればすっきりする。誰でもがそれを望む。しかし、それほど単純ではない。これが人の「悩みの種」であり「苦の種」の正体である。世の中は、解決できないことであふれていることに気づき、何を心の真ん中に置くのか知恵の眼で識別しなければならない。

◆庭木を剪定しているときでも、いろいろな思いが浮かんでくる。心の真ん中を取られてしまうと、どんどん深みにはまっていきそうだ。そんなときは、「あらあら」と言って、深呼吸し、剪定に集中するのだ。

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