輪橋山徒然話 2023/10/17 太郎を呼べば 太郎がくる
◆さて、本日は時実新子(ときざね しんこ)さんだ。川柳作家である。
なわとびに
入っておいで
出ておゆき
自信ある
眸(め)を見返して
たじろがず
◆川柳とは世の風刺と思っていたが、時実新子さんの川柳はそうではない。人間を17音に凝縮して表現している「一行詩」と言ってもいいだろう。無知だった私にとっては衝撃だった。
◆時実新子さんとの出会は次のような文章だ。
『太郎を呼べば 太郎がくる』
祖母からの口移しなので、出典は明らかでありません。
祖母が言うには「呼べば呼んだ人が来るじゃろ?太郎サーンに花子はこないわな。
じゃから、いい事を呼びんさいや」とのこと。
太郎は幸福の代名詞なのでしょう。
子どものころはすんなり分かっていたのに、おとなになると、こんがらがりました。
たとえば病気になるとその事に執着(しゅうちゃく)する。つまり呼んでいるからよけいに病むのですね。はっと気づいては太郎を呼ぶように心掛けています。
※『心を豊かにする100の言葉』PHPから引用
◆「太郎」を呼べば幸せかが、九郎を呼べは「苦労」がやってくる。このことを幼き頃は祖母の言葉としてすんなりと受け入れていたのに、大人になるとそうではなかった自分に気がついたということだ。
◆「苦」にあるときは、実は「その原因」に執着している自分がいるではないかという「気つき」がなかったのだ。そのことに、「ああそうかと納得し」、「太郎」を呼んだというのだ。
◆つまり、「気つき」があれば、納得して「苦」を手放せるが、「気つき」がなければ、「苦」を手放せないのだ。
◆ところが、実は「気つき」ができにくい時代が現代なのだという。
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