輪橋山徒然話 2024-8-18. 老人の嘘
曽野綾子さんの戒老録-自らの救いのために-の中に、「年寄りの一つの悪癖は、嘘つきになることである」で始まる文がある。(1きびしさによる救済「嘘をつかぬこと」)
ここで言う嘘とは次のようなことだ。
「おばあちゃん、お菓子いらない?」
おばあさんは遠慮して、
「いらないよ」
と答える。すると若い世代は忙しいし、自分たちがいつも心のままに答えているから、老人の言葉を、その通りだと思う。それで、同人には与えないのである。それが年寄りには気にくわない。
実は欲しかったのに、この時老人に働いている力は、遠慮という表現法なのだ。誰でも頷けるこの感覚である。このようなことから生まれてしまう嘘を曽野綾子さんは「老人の嘘」と言うのである。
老人には、陰性の老人と陽性の老人が二通りあるそうだ。先ほどの本当はほしいのにいらないと答える老人は「陰性」の老人になってしまう。結果的に腹に思っていることと、口に出していることが違うことがストレスになっていく。親戚も家族も友達も扱いにくい。その結果、周りに人は集まらない。
反対に、陽性の老人は次のような受け答えをする。
「欲しいけど、数だけあるの?」
「数だけはないよ」
「じゃ、もらっちゃ悪いね」
「仕方ねえよ、敬老精神だ」
「年をとるとトクだわね、ありがとう」
孫との対話である。こんなふうになるといいとと曽野綾子さんは言う。つまり、欲しければ欲しいと言えばいいのである。
あるいは、
「いつも食べてばかりいるから、今日は遠慮しておくよ」
「珍しいね。おばあちゃん遠慮したことがないのにね」
「遠慮だって、これでもできるんだよ」
陽性の老人はたしなめられたりあからさまに困られたりするが、壮年の陽気な人より、もっと明るく美しいものを感じさせ、「無邪気で困り者でしたなあ」などと言われても内心で深く愛されていると曽野綾子さんは言う。
だいたい数だけなければ半分にすればよいし、足りなければ譲る楽しさもあるというのだ。
欲しいのに遠慮するような「自分への嘘」がふつふつと「鬱」の種を蒔き、ますます人を遠ざける。それよりも「自分に正直」にあるべきだ。
さて、私のパソコンの変換は「ようせい」の老人を何度変換しても、「陽性」ではなく「妖精」とでる。無邪気な老人は歳を取るごとに「妖精」のようにあれということか。
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