死者の普遍化と昇華という弔い方を是枝裕和監督が希林さんの弔辞の中で話されていた。

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 死者の普遍化と昇華

◆樹木希林さんが最晩年の作品「万引き家族」でメガホンを取った是枝裕和監督は、希林さんの告別式(2018年)で「私と出会ってくれてありがとう」と弔辞を寄せている。このメッセージは、希林さんと文学座付属演劇研究所の同期で俳優の橋爪功さんによって代読された。昨日はその一部を昨日のリールで紹介したとこである。

◆その弔辞の中には、大事な人の死と「普遍化」と「昇華」についてあった。是枝監督の作品の素晴らしさの秘密も垣間見たようなこの二つのことばについて考えたい。

◆是枝裕和監督は希林さんのことを母と慕っていたそうだ。出会いは、自らの母親が亡くなったことがきっかけ。是枝監督の亡き母親を重ねた映画『歩いても 歩いても』の中で希林さんは主人公の母を演じた。

◆是枝監督は、希林さんと話すことでの母への喪の作業を少しずつ進めることができたという。そして、希林さんの死で、再び喪の作業を始めることになってしまった是枝監督は、「普遍化」と「昇華」という言葉で希林さんを弔った。

◆「普遍化」とは、特別なものから一般的なものに変えていくことだが、是枝監督は喪の作業として次のようにいっている。

◆人が死ぬとはその存在が「普遍化」することだと考えています。私は母を失ったあと、逆に母という存在をあらゆるものの中に、街ですれ違う赤の他人の中に発見できるようになりました。そう考えることで悲しみを乗り越えようとしました。

◆是枝監督は、死とは「世界中に普遍化された」こととして、更に続けている。

◆今回のお別れはあなたという存在が肉体を離れ、あなたが世界中に普遍化されたのだと。そう受け止められる日が、残された人々にいつか訪れること心から願っています。

◆「一切衆生 悉有仏性」ということだろうか。世の中の様々なものに母を感じ、それを見つけることに癒され、それらを有難いと思う気持ちだ。

◆それでは「昇華」させるとはどういうことだろう。

◆昇華とは、「固体が液体になることなしに、直接気体になること」ある状態から、更に高度な状態へ飛躍すること」つまり、一段上に高められることをいう。

◆是枝監督と希林さんの2008年『歩いても 歩いても』には、亡くなった是枝監督自身の母親を反映させた普通の家族のとある日常を描き出したという評価がある。この「反映させた」という評価がが「昇華」につながるのだと思う。

◆つまり、母を映画の中で生かしきれたのだ。だから、映画が公開された世界各国で「あれは自分の母親だ」と評され、国境を越えて多くの映画ファンから高い支持を受ける作品となった。(希林さんは、第30回ナント三大陸映画祭の最優秀女優賞を受賞)

◆母を見事に映画の中に昇華し、それが世界各国でも評価されたとはまさに「普遍化」でもある。

◆だから、是枝監督は希林さん失ったことのその悲しみを、別の作品の登場人物として昇華させなくてはいけないと考えたのだろう。それが、喪に服すということで、それを監督は責任だという。

◆さて、どんな映画にどのように普遍化され昇華された希林さんの姿が登場するのであろうか。是枝監督作品の楽しみ方の一つでもありそうだ。

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