母は不幸の中で悲しんでばかりもいなかった。脚本家の市川森一さんのサラトリウムの別れより

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輪橋山徒然話 「悲しんでばかりもいなかった」2023-12-22

◆脚本家の市川森一さんの「悲しんでばかりもいなかった」について書かれたノンフィクション作家//評論家上坂冬子さんの言葉について考えた。
《1日1篇人生を成功に導く365人の言葉 PHP編集部 8月15日より引用》

○「悲しんでばかりもいなかった」 上坂冬子

▶️NHKテレビで脚本家の市川森一さんが故郷の諫早を訪れた様子が映し出された。

▶️少年時代に彼は三歳下の妹と、結核で入院中の母親の見舞いに長崎に行ったことを語っていたが、帰りに病棟を見上げると母親は兄妹めがけて窓からりんごを投げて笑ったという。

▶️彼は、母親が療養の日々を悲しんでばかりもいなかったような気がすると締めくくっていた。

▶️人間には天性の生命力がある。人は不運の中で悲しんでばかりもいない、とは何と重大な視点であろう

◆「人間には天性の生命力がある。人は不運の中で悲しんでばかりもいない、」の何を上村さんは重大な視点と捉えたのだろうか。

◆市川さん母子の別れは10歳だったそうだ。妹は7つ。

◆幼い市川さん兄妹に見せた、りんごを投げる母の姿。このメッセージはなんとも鮮やかなのだ。そう、まるでドラマの1シーンのようだ。このシーンこそ、切ないけれど、不幸を「悲しんでばかりもいられなかった」のだという全てだと思う。

◆その母の強さが「天性の生命力」なのである。与えられた生命力を信じ、その生命の意味を知り、生きねばならないということであろうか。だからこそ、母は不運の中で悲しんでばかりもいないし、いられなかったのだ。

◆私も思う。10歳と7歳の残していく子どもに「不運の中での母の生き方」を「哀しみの中の母」ではなく、「病室の窓から赤いりんごを放る母の姿」として残したかったのだ。そのあたりに後に大脚本家となる市川さんの矜持をみる思いがする。

◆つまり、「天性の生命力」を信じる気持ちが市川脚本の強さとして、不運の母の姿とともに底辺に流れるものなのだろう。

◆「悲しんでばかりもいなかった」は。市川さんが母から受け継いだ生き様と生命力、そして人間崇拝この視点を上川さんが言葉にして私たちに示したのだと思った。

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