輪橋山徒然話 2024-6-14. 「蛍」
◆子どもの頃は、蚊帳を吊ってその中で眠った。蚊帳の色は深い翠色。吊った蚊帳の上に、袋に入れた蛍を置く。電気を消して、その小さな光をみながら眠った。
◆朝になると蛍は、いなくなっていた。たぶん、母だと思う。母は、そのように何か生き物を捕まえておくようなことを好まなかった。私たちが寝静まると、放していたのだろう。
◆さて「蛍見ましたか」というコメントがあった。
◆成虫になったゲンジボタルの生存期間は10日から2週間ほどと短い。その間に水辺の苔や草の根に卵を産みつける。卵は1ヶ月後に孵化し、1.5mm位の幼虫となる。
◆このゲンジボタルの幼虫は、比較的きれいな淡水に住むカワニナ(巻貝の一種)を餌にして、水中で生活を始める。厳しい冬を越し、翌年4月の雨の夜に、上陸する。そして、土繭を作り、その中でさなぎとなり羽化するのだ。それがこれからの季節だ。
◆驚いたことに成虫となったホタルは、エサを食べないそうだ。管になっている口から、水分を吸うだけなのだ。他の虫とは違い、ちょっと触るだけで、すぐ弱ってしまうのはそのためか。まっ暗闇で光るということはそこまで、身を研ぎ澄ました技なのかと思う。それが蛍の光なのだ。まさに死と引き換えの光のように思えてくる。
◆儚い命の蛍をはさんで、師匠の芭蕉と弟子の去来。そして去来の妹、俳号千子(ちね)の話がある。若くして逝った千子の句から。
もえやすく又消えやすき蛍かな 千子
◆蕉門十哲の一人、千子の兄である向井去来は、松尾芭蕉に入門。野沢凡兆と蕉風の代表句集「猿蓑」を編んだほか、「去来抄」を記した。その去来の妹千子の辞世の句が「消えやすき」である。この辞世の句を詠んだ、妹千子は、まだ二十代だったという。自らの短い生涯と蛍の儚さとを重ねている。
手の上に恋しく消ゆる蛍かな 去来
◆そして、兄である去来の妹への追善の句である。追善の句とは、辞世の句に応え、故人を弔うことをいう。「手の上で消ゆる蛍」と、妹千子が蛍に姿をかえて来てくれたのかとしみじみ思う兄である。見事に妹の句に重なる。
◆そして、芭蕉。
千子が身まかりけるを聞きて、美濃の国より去来がもとへ遣わし侍りける
との前書きをつけての芭蕉の追悼吟である。
亡き人の小袖も今や土用干し 芭蕉
◆六月は衣替えの月だが、土用干しは七月の土用の行事である。五月十五日に没しているから、四十九日の大練忌を過ぎ、百ヶ月の卒哭忌まではまだ間がある頃の弔いの句。この句の奥に芭蕉の若くして逝った故人と弟子への心遣いが感じられる。
◆瞬間を切り取ったという写真を共有し、五七五にする今風の俳句とは少し趣きが違う。
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