「姑息」と「小癪」
本日は姑息と小癪、似てはいるが全く異なる意味をもつ二つの熟語について考えたい。
「省略する」と「割愛する」は誤用漢字の代表
◆以前「省略する」と「割愛する」の違いについて書いた。
◆「省略する」は「簡単にするために一部を取り除くこと」で不要な部分を省く行為のみを指す。一方「割愛する」は,本来,惜しいと思っているものを,「思い切って捨てたり、無くしてしまうこと」を言う。
◆付け加えるなら、「割愛する」は、元々は仏教の用語で,例えば「出家」する時、家人や物事に全てへの愛着の気持ちを断ち切ることを言うのだ。このように、「割愛する」は本来有難いことばなのだが、誤った使い方が定着している。困ったものだと書いた。本日ももはや日常に誤用漢字として定着してしまったものを取り上げたい。
学芸会の時代劇にみつけた誤用漢字
◆10月下旬といえば、小学校では学芸会の季節だ。6学年のうちどこかの学年で取り上げられるのが「勧善懲悪の時代劇」だ。農村部の学校だと、年貢の取り立ての厳しい悪代官とそれを横流しする悪徳商人という構図は鉄板ネタである。もちろん御老公も登場して…。
◆越後屋(悪徳商人)を演じるのは「学年一番の芸達者」。少しぽっちゃりしているとなおよろしい。悪代官は金ピカの衣装が似合い、よく通る声を持ち、「腹からの高笑い」ができなければならない。
お決まりのシーン
さて、こんなセリフだ。
越後屋「お代官様、いつもありがとうございます。」(モミ手をして)
手土産の菓子折りを差し出す。
この菓子箱、なかなか重い。(よっこいしょ)
悪代官「越後屋、お前もなかなか姑息なやつじゃのう。」
代官はニッコリ笑う
「✖️姑息」
◆さて、どの漢字がおかしいのだろう。それは、「✖️姑息」である。ここでは、姑息を「人に対して卑怯」、または「ずる賢いこと」というふうに使っているが本来の意味は違う。
◆「姑息」の意味の本来の意味は「一時的な」「急場しのぎの」「間に合わせ」の手段や方法のことである。しかし、一般的な理解としては、「姑息」という言葉は「卑怯な」「こせこせした」さまを表現する言葉として用いられることが多い。これが誤用なのである。
◆姑息の「姑」の字は(「しゅうとめ」とも読むが)しばらく、とりあえず、といった字義がある。姑息の「息」には(「呼吸」の意味の他に)止む、止める、といった字義もある。つまり「姑息」は、(根本的な解決の代わりに行われる)一時的な間に合わせの対処のことである。
※またこのような使い方がある。
姑息的治療…病気の元を取り除く「根治治療」に対して、根治以外のすべての医療行為を指す言葉。
誤用の原因は「小癪(こしゃく)」
◆なぜ、このような誤用が始まったのだろう。
◆それは、お前も生意気、腹立たしい様を表現する「小癪(こしゃく)」との混同が原因だという。「✖️姑息」ではなく、一心一体の悪徳代官と商人だから「なかなかやるのう」という気持ちも込めて「小癪なやつじゃのう」と本来すべきなのである。
学芸会はダイレクトな表現で
◆「姑息」や「小癪」よりも、このセリフはダイレクトに「越後屋、おまえもなかなか悪じゃのう」「ホッホッホッ」方がよさそうだ。 → 越後屋と代官動画
そして劇は
悪代官「しっ」
「そこにいるのは誰じゃ」
本当は 飛猿という忍び
曲 者「ミャーァ」
悪代官「なんじゃ、猫か」と続く。
今日も深呼吸と合掌とオンニコニコで
今日も深呼吸と合掌とオンニコニコで
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
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