60年前に交通網の発達は間抜けと予言していた未来をも見通す詩人の感性

超特急「ひかり号」まとめブログ
超特急「ひかり号」

負のスパイラル

大人気 旅番組

◆自らを俯瞰する「道草」だらけのひとり旅などは、メタ認知を鍛え、脳によろしいとPOSTした。テレビでも「道草」や「旅」は大人気である。

◆道草と旅番組といえば「路線バス・太川・蛭子」と「電動バイクの旅」。電動バイクの旅は、私にとっては「出川哲朗の人情の旅」。路線バスの旅は「非情の旅」だ。

路線バスの旅は「非情の旅」

◆路線バスの旅は「非情の旅」を演出しているのは「路線バスのルール3箇条」にある。

① 3泊4日で指定の目的地にゴールすること。ルートだけでなく、撮影交渉も自分たちで行う」

② 「移動は原則として路線バスのみを使用。高速バス、タクシー、鉄道、飛行機、船、自転車、ヒッチハイクなど他の交通機関の利用は禁止」

③ タイトルの通り、移動には原則として路線バスを使用しなければならない。行程によっ徒歩での移動を強いられることになる。

※但し「情報収集でインターネットを利用することは禁止なのだが、紙の地図や時刻表、案内所や地元の人からの情報のみ使用OKだそうだ。そこの曖昧なところがおもしろい」

田舎の現実も「非情」

◆路線バスの旅は「非情」がテーマだと書いたが、それは、出演者の戦略ミスもあるのだが、田舎に課せられた非情も原因でもある。特に、「路線バスのルール③」と田舎の現実だ。

◆たとえば当然あるはずのバス路線が、廃線になっている。徒歩移動となる。すると「必ずと言っていいほどの」悪天候や暑さ、寒さに見舞われる。三人で耐えながら数時間歩かなければならないことも珍しくなかった。

なんと最終回、私の住む庄内でも

◆それを実感したのが、路線バスの旅2017年放映第25弾(最終回)だ。もう薄暗い、でも午後4時での断念。何回目かの再放送で見たのだがなんとも後味が悪かった。

◆12月中旬のロケ。私の住む庄内(山形県)で最後の希望が断たれた。概要はこうだった。最終日、時雨の中、最上川に沿って酒田を目指す。そばをJR陸羽西線が通る。ようやく一行は、草薙温泉から4km歩いて清川駅に到達するが、さらに4km以上歩くことを決断し、狩川駅に至るが余目で断念、という結果だ。このエリアは、土日運休のバスが多く、鶴岡~酒田間のバスも16時過ぎには終わってしまう。そのため、余目駅から由利本荘(秋田県)へ向かうには、酒田市内まであと10㎞歩くしかなかったのだ。余目駅→徒歩10km→イオン酒田南店20:00→21:43本荘駅前。

◆しかし、地元の人でも歩いたことのない街道をま冬に、最上川に沿って歩くとは…。そこは、最上川舟唄の舟下りのコースである。松尾芭蕉の「五月雨を集めてはやし最上川」である。世界中を泣かせたNHK朝のテレビドラマの「おしん」が酒田に奉公にいく場面でのる舟のコースである。つまり、「昔も歩かない行程」なのである。おまけに、陸羽西線というJRが側を走っている。

田舎の非情とマドンナの新田恵利さんの笑顔

◆田舎に暮らすの「非情」の一つは、自家用車がないと身動きがとれないうことなのだ。その現実を路線バスの旅は「非情の旅」として再現しているのだ。しかも、電車やバスは一日数本。土日は運休。

◆マドンナの新田恵利さんが唯一の救いだった。もし、彼女がいなかったら、チャンネルを変えている。彼女には、是非、雪の最上川、水墨画の如き舟下り・こたつ・日本酒。是非堪能してもらいたい。もう二度と嫌だと言われそうだが…。

◆さて、このコースが正解ではなかったように思う。興味のある方はいろいろ検証しているサイトがあるのでこちらを「旅行総合研究所タビリス」▶︎https://tabiris.com/archives/localbus25/

JRの陸羽西線」の「諸行無常」

◆しかしそれだけではなかった。「路線バスの旅の最終回2017」は更なる「負のスパイラル」をも予言していた。

 

最上川沿いの街道とその脇を通る「JRの陸羽西線」の現状

◆時代に乗り残され、かろうじて生き残っているのが「路線バス」である。それが地方の抱えている現実だ。「路線バスの旅最終回2017」は、今の時代の「地方の非情な記録」の側面を持つ。

◆太川さん、蛭子さん、そしてマドンナの新田恵利さんが歩いた最上川沿いの街道とその脇を通る「JRの陸羽西線」の現状には驚いた。

◆11月25日の山形新聞の一面は「利用者の少ない地方路線の収支」だった。

新庄から余目までの陸羽西線

◆話題にしている陸羽西線は、新庄から余目までの路線である。余目から酒田へ出れば秋田へ。逆に鶴岡に出れば新潟方面である。太平洋側と日本海側をつなぐ、かつての大動脈、重要な路線だ。

◆1日9往復あるという。さて、その平均乗客数である。なんと「192人」だ。平均乗客数は1日あたりの数である。つまり、1便に10人程度しか乗車していないことになる。赤字額は、およそ9億円だ。平均乗客数はコロナ前と比較しても9%の減とあるので、1便あたり1人の減ということだろう。あまり影響はないということか…。

◆年間9億円の赤字とは、1日あたり250万円もの赤字ということだ。しかし、利用する人がいるのに、簡単に切り捨てや廃線というわけにはいかない。当然である。

陸羽西線が長期停止の事実

◆「ところが」である。昨日のPOSTにこんなコメントがあった。

◆陸羽西線が長期停止と耳にしました。えっ?じゃあ山形にはJRで行けないの⁈とショック‼️電車の窓から眺める最上川の雄大さや雪景色の美しさは見られなくなる?残念です。

でも、みんな便利な高速道路ばかり使ってるからなんですよね~。

◆「えっ!」と思った。本当だった。陸羽西線は、2022年のゴールデンウィーク明けから、2年以上の長期運休に入っていたのだ。道路トンネルの工事による危険を避けるためだそうだ。そのために現在はバスが代行運転をしている。

◆この工事は、高規格道路の「新庄酒田道路」。国道47号線のバイパスで、すでに一部区間で供用が開始されている。全線開通すれば新庄~酒田間約50kmが高規格道路でつながる。高規格道路とは、自動車専用道路のことである。

◆問題は、長期休業の是非である。専門家にいわせれば、線道と道路のトンネルが3mの位置で交差するのは難工事だが、それで列車を2年以上も止めてしまうのは驚きだという。2008年に開業した東京メトロ副都心線は、都営新宿線と最短11cmで交差しているが、副都心線の工事中も新宿線は運休などしなかったそうだ。11cmに比べれば3mという間隔は広いので、列車を止めずに施工しようと思えば、技術的には可能で、実際、当初はその計画だった。しかし、1日250万の赤字路線は、バス運行の方を選択したのだろう。

  参考 「旅行総合研究所タビリス」(tabiris.com)

◆心配なのは、トンネル開通後の2年後に「負のスパイラル」になりつつある列車を復活するかということだ。コロナ禍により、JRには、設備投資や赤字補填の体力が失われているともいう。

交通網の整備が生み出す諸行無常

◆諸行無常である。北前船の大動脈であり、芭蕉が舟下りをした最上川。その最上川沿いの街道が国道となり、山際をJR陸羽西線が走り、やがて、2年後には高規格道路が開通する。交通網の発達とともに繁栄し、新たな交通網の出現にすべてが飲み込こまれ、さらに過疎化していくだろう。その繰り返しだ。

◆さて、路線バスの旅も在来線の旅も最高の難問なるだろう。ちなみに、私の在来線である羽越線は1987年の乗車率を100%とすると乗客数は15%まで落ち込んでいる。県内No. 1の赤字路線と成り果てた。

約60年後を見通す詩人の感性

作家は時代の神経であると高村薫さんは書いている。詩人もまた、時代を見通し、見抜いていた。

若者は都会へ

◆移動時間を短縮し、都会と田舎の格差をなくす。結果、若者は都会へ。一度地元の銀行に就職したお孫さん、最近都会へ再就職。これが寂しい田舎の現実だ。田舎の非情だ。

◆確かに、初めて東京に行ったときは、1日がかりの大変な旅だった。大学生の頃特急「いなほ」で6時間。上越新幹線が開通して、きっかり4時間。飛行機だと45分。どんどん東京が近くなった。便利になったと喜んだ。

◆でも、スカイプだと一瞬で会いたい人と話ができる。それが今だ。それでも令和4年現在、新潟から秋田への高速もまだ建設中だし、新幹線の延伸も希望しているとか。

◆もう新しいものは必要ないのではないかと最近思う。

谷川俊太郎さんの「急ぐ」

◆今日取り上げたのは「急ぐ」。谷川俊太郎さんが新幹線に初めて乗ったときの詩なのだが、詩人の感性は、約60年も前に今の時代を見通していた。すごいと思った。

急ぐ      谷川俊太郎

こんなに急いでいいのだろうか

田植えする人々の上を

時速二百キロで通り過ぎ

私には彼らの手が見えない

心を思いやる暇がない

この速度は早すぎて間が抜けている

苦しみも怒りも不公平も絶望も

すべてが流れてゆく風景

こんなに急いでいいのだろうか

私の体は速達小包

私の心は消印された切手

しかもなお間にあわない

急いでも急いでも間にあわない

 

「間抜け」と“夢の超特急”

◆“夢の超特急”といわれた東海道新幹線が1964年10月1日に開業してからもう少しで60年。還暦だ。営業最高時速285キロ。  東海道新幹線開業動画

◆「間が抜けた」の意味は大事なところが足りていない様子。きりっとした感じがなく間抜けに見えるさまであるのだが、谷川さんがおっしゃるとおりだった。特急列車が走れば、間(あいだ)の各駅は廃(すた)れ、高速道路が走れば国道は廃れた。まさに「間」が抜ける。すごろく遊びでいつもワープしているようなものだ。旅の機微などあるものか。

◆「急ぐ」ことだけではない。様々な発達という変化の中で、結局は「間が抜けた」ものだらけになってしまっていると思うのは私だけであろうか。

「間」のある生活への転換を

◆そろそろ「味わいのない、急ぐばかりの生活」から「止まる」こと「振り返ること」のできる「間」のある生活への転換が必要だと思う。そこらあたりに、お寺の役目もあるかもしれない。

◆趣味や運動もよいだろう。または、ヨガや写経や座禅もおすすめだ。ちょっとした「間」をつくるための「深呼吸」。のみこまれないための「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」もよい。

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