「怒り」が「怒り」を生みだし、発する言葉が「親の●殺し」に至ることもある。

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母と子

「親の●殺し」と怒りを受け流す術

◆「親の●殺し」という話だ。●の中には「子」。我が子が入る。

◆教員をしていた時に、研修会か何かで聞いた話だ。確かこんな話だったと思う。

母と子 スタートはよくある風景から

夢中になるとやめられないのは子どもの性

 

ボール遊びに夢中の5歳児。

「花瓶が倒れるからやめてちょうだい」と母親。

「大丈夫」と子ども。

しかし、何かの拍子に花瓶にボールが。

花瓶が落ち、われてしまう。

これも、よくある光景だ。

驚く子ども

「だからいったでしょう」と母親。

子どもは自分のしてしまったことがわかる。

びっくりしている。

そのうち、涙があふれる。

ここまでも、よくある光景だ。

 

しぼりだしたごめんなさい

やっとだ。

やっと

しぼり出すような声

ごめんなさい

「えらい、えらい」

 

「ごめんなさい」はあっさり拒否

花瓶をかたづけながら母親

「ママが大事にしていた花瓶よ。」

「知っているでしょ。」

子どものしぼり出した

「ごめんなさい」はあっさり拒否される。

受け入れてもらえないようだ。

雲行きが怪しくなってきた。

 

沈黙の選択だ

さて、子どもはどうするだろうか。

どうしていいかわかるはずもない。

だから

子どもは、下を向いて「だまる」しかない。沈黙の選択だ

 

ぎりぎりの沈黙さえも否定

しかし、「だまって」こらえる子どもに、ますます腹を立てる母親。

「黙ってないで何かいったらどうなの」

子どもは、ぎりぎりの沈黙さえも否定される。

母親のこわい顔。どうしていいかわからない。

そして、思わず出る一言。

 

「親の子殺し」が成立

ママなんか嫌いだ

ママも思わず言い返す。

私も、あなたなんか大嫌いよ

それだけではない。次の一言も。低い声で

こんな悪い子産むんじゃなかった

これで「親の子殺し」が成立した。

 

「親の子殺し」

◆さて、子どもにとっては、「よくある失敗体験」で終わるはずだったのに、グサリとついた「心に傷」。「ごめんなさい」「沈黙」「ママなんか嫌い」のそれぞれのギリギリの意味が、母親にわかっていなかったのだ。

◆親なのに5歳児の心が想像できない大人なのだ。ママの役割を考えてみよう。

 

心を育むママの役割

◆ママは、「壊れた花瓶にごめんなさいね。うちの子が」と語りかけ、壊れたものは二度と元に戻らないことを教えねばならなかったのだ。

◆たとえば、「花瓶さんは、もう二度とお花とお話できなくなったね。うちの〇〇ちゃんごめんなさい」親と子の共通の思いが残るような…、あの時一緒に「ごめんなさい」と謝ってくれたママの思いが、子どもの心を育てるのだ。

◆母子の共通の体験がなかったから、「渾身のママごめんなさい」も「ギリギリの沈黙」も「涙の理由」も「ママ嫌い」の意味するところも、ママ自身が理解できなかったのだ。

◆特に「ごめんなさい」は当たり前のことばではない。特別で大切な言葉なのだと心得たい。

◆もしも、「親の幼児化」が自覚できたならば、子どもと一緒に学び直すしかない。

「学び直し」については  「大人の幼児化」が生み出した社会問題」へ

「怒り」を受け流す術

◆全ての原因は「怒り」にあった。

◆怒りとは何も生まない。だから「怒り」を上手に「受け流してやる」術を修めておかねばならない。

◆その方法が、私の場合は、「深呼吸」と「曽祖母のおまじない」だ。小さい頃によく聞いた。「羯諦(ぎゃてい) 羯諦(ぎゃてい) 波羅羯諦(はらぎゃてい) 波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)菩提薩婆訶(ぼじそわか) 般若心経」と何かの拍子に曽祖母はまじないのように唱えていた。今になって思えば、般若心経の終わりの真言なのだ。ある時、何か悪いものを払うのだと曽祖母はいった。

◆心をザワザワ落ち着かず不吉な時、また、誰かが暗鬼になっている時理由がわからず何故か不安な時唱えて心が落ち着かせよというのだ。、自分のザワザワに「羯諦 羯諦」だ。もちろん言ってしまったなら同じく「羯諦 羯諦」だ。悪いことば、悪い思いは自分の心に残してはいけないということだ。(般若心経動画)

◆深呼吸と「曽祖母のおまじない」やがて、怒りはどこかに消えていく。

◆家庭での生活の合言葉に「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」

 

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