「そもそも血圧の薬とは」
今日の輪橋山徒然話は、「薬喰ひ」と「薬不足」。
「薬喰ひ」
◆「薬喰ひ」は冬の季語である。しかし、薬は飲むもので、薬を喰ひ・食うとはいかなることであろうか。蕉門十哲の一人。江戸時代前期の俳諧師、各務支考に次の俳句に次のような句がある。
生きんとて殺さばいかん 薬喰ひ 各務支考
◆「薬喰ひ」が冬の季語である。語の意味は、体力をつけるために、寒中に滋養になる薬を食べなければならない。薬とは、実は肉類を食べることなのだ。仏教伝来によって、獣肉を食べることを嫌った時代があったので、これを薬と称して鹿や猪などを食べたのだ。仏教の戒を破っても、人間は生きていくためには殺生し、その命を食べていかざるを得ない業を持っている。
◆つまり、「薬喰ひ」はそのような葛藤が生み出したことばだ。「嘘も方便」というよりも、「生きるための知恵」である。他の命を、我が命のためにいただくのである。
そして現代である。「薬」がとんでもないことになっている。
謎 ジェネリック医薬品の品薄
◆ジェネリック医薬品メーカーで起きた不正をきっかけに広がっている、薬の供給不足。日本製薬団体連合会(日薬連)は5日、医療機関でジェネリック医薬品が品薄となっている問題で、8月末時点で4234品目(全体の28%)が供給不足になっているとの調査結果を発表した。2021年の3143品目(同20%)から増え、後医薬品の供給不足が深刻になっている。
◆昨年すでに、20%不足していて、今年の8月の時点でと28%。聞いて唖然とした。完全に後手ではないか。石油不足、電力不足これは、不測の事態が続いたので仕方がない。計画停電があれば進んで協力しなければならない。しかし、20%以上の供給不足が更に加速し、3年はこのままだということは大失態だと思う。命にかかわる問題だからである。2021年8月の際の報道や論調はどうだったのだろう。
「血圧の薬」はやめられる?
◆さて、わたしであるが、「薬不足」というのであれば、飲み忘れの多い「血圧の薬」をいっそやめようかと思った。先日の診察日に、かかりつけの先生に聞くのは怖かったので、薬剤師にちょっと聞いた。「私の薬は多い方なのかと」。そうしたら、薬剤師は、笑って首を横に振った。「やめようt」。
◆しかし、「血圧の薬はのみだしたら一生続けないといけない」と聞いたこともあった。そこで、ちょっと調べてみた。参考にしたのは、「三豊・観音寺市医師会」(香川県)のHPだ。
◆理由は明白だった。高血圧の薬は治療薬ではなく予防薬なのだ。高血圧の治療の目的は、血圧の値をさげることではなく、動脈硬化によって起こる脳梗塞や心筋梗塞・腎不全などの病気を予防することだということだ。
◆しかも、「高血圧の治療」が有効であったかどうかは、脳梗塞や心筋梗塞・腎不全などの病気にならずに一生を終えられれば、「高血圧の治療」は成功したことになるそうだ。逆に、「高血圧の治療」を受けずに、運悪く脳梗塞や心筋梗塞になったり、透析を受けなくてはならなくなったとき、それから「高血圧の治療」をしなおしても、もう元の体には戻れないのだ。そもそも「高血圧の治療」は、ほとんどが10年以上服用してもほとんど副作用はでないそうなので、無理しても飲んでおいたほうがよさそうだ。
おわりに
◆前の友引の日、三年振りかで代行車を呼んだ。「般若酒」を頂いてしまったからだ。そのとき、ついでに「アワ般若」もいただいた。「般若酒」とは、知恵のお酒である。これもまたよくできた「生きるための知恵」なのだが。世の中には「アワ」だけでなく、麦般若も芋般若あるとか…
今日も深呼吸と合掌とオンニコニコで
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
コメント