「遺影」
輪橋山徒然話は、令和の「遺影」について考える。
「仕事というものは八分まで」
◆誰の言葉かわかるだろうか。
仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。
八分までが困難の道である。
◆あの幕末の英雄だ。
あとの二分はたれでも出来る。
その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。
◆土佐高知の人である。そう、司馬遼太郎さんの「龍馬が行く」の坂本龍馬である。
「龍馬が行く」
◆「龍馬が行く」は1962年から「産経新聞」夕刊に連載された。この連載が始まる頃は、まだ坂本龍馬が今ほど有名ではなかったそうだ。現在我々が持っている龍馬像のベースが、この本によって生まれたともいわれているほどだ。しかし、私は、司馬遼太郎さんの「龍馬が行く」からは、体と心の器の大きい漢(おとこ)というイメージしか持てないでいた。
◆「龍馬が行く」は何度も映像化された。誰かが演じても、萬屋錦之介の坂本龍馬であり、福山雅治の坂本龍馬なのだ。私の司馬遼太郎の坂本龍馬とはちょっと違っていた。
◆それとは別に龍馬の写真は有名だ。でも写真は写真だと思っていた。
「幕末の偉人を笑顔にしてみたら」
◆ところが昨日の夜のことである。「幕末の偉人を笑顔にしてみた」という映像を見た。すると、驚いたことに、わたしの中の「司馬遼太郎の坂本龍馬」が突如動き出した。まさに傍にいるが如くだ。
◆この動画は「コー吉さん」というクリエーターの作品だ。はじめは悪い冗談だと思った。なぜなら、夏目漱石、板垣退助、野口英世、森鴎外、与謝野晶子、伊藤博文の偉人がみんな自然な笑顔にされてしてしまっているからだ。しかし、なんとも生き生きしている。
◆なかでも、坂本龍馬と西郷隆盛は傑作だ。
◆その証拠に、この二人の人物が、現実の人として私の隣に降りてきたのだ。司馬遼太郎さんの「龍馬が行く」を龍馬が語り出し、「翔ぶが如く」を西郷さんが語り出した。
◆そうだ。これだと思った。「遺された写真」とはこうあらねばならないと。
「遺された写真」とはこうあらねば
◆お寺を訪ねてくる人に遺影はどうあればよいかと聞かれることがある。「まだまだ、ずーと先のことですよ」と言いながらも、聞かれれば答えねばならない。
◆昔から遺影はその家を護るというような役割だったと思う。まさしく坂本龍馬の日本の未来を見通すような写真だ。しかし、これからの遺影は、自然な柔らかな表情ではどうだろうか。微笑んでいても、笑顔でもよいと思う。
◆なぜなら、遺影は、あなたに遺された愛する人が、その毎日を取り戻し、人生と生活に戻れるようになるまでの拠り所であり、心の置き場所であるからだ。現代の遺影はそういう役目なのである。
マスクの下の口元
◆さて、印象をガラリと変えた明治の偉人の笑顔は、口元を中心に加工されてできている。つまり、現在の我々のマスクの下に隠された部分である。しばらく隠れていたあなたの心を真っ直ぐに伝えてしまうマスクの下の口元を、いつオープンにしても大丈夫だろうか。
今日も深呼吸と合掌とオンニコニコと一筆付箋写経
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」といつでも清々しく保つための術「付箋写経」の輪橋山徒然話でした。
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