島崎藤村の童話「書籍」と「と、日記には書いておこう 龍角散」について考える

龍角散ことば
龍角散

「と、日記には書いておこう 龍角散」

◆昭和49年にこんなCMがあった。覚えているだろうか。龍角散トローチ280円。マドンナはセーラー服の村地弘美さんだ。

                                                                            当時の映像  なつかしCM

恋する男子高校生

◆このCM。こんなナレーションだった。

龍角散CM1973

雨が降っている。

今日偶然みちこさんに出会った。

可哀想に咳をしている。

風邪で喉を痛めたらしい。

僕は龍角散トローチをあげて親切に家まで送って行った。

嬉しかった。

と、日記には書いておこう。

まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の

花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは

薄紅の秋の実に

人こひ初めしはじめなり

と、日記には書いておこう

島崎藤村って偉いなあ 。

◆コマーシャルはもちろん恋する高校生の妄想である。しかし、50年近くたち、彼の思い出の都合の悪いところは上手に書き換えられ、日記は大切な宝物になっていることだろう。

「書籍(ほん)」島崎藤村

◆「やさしく白き手をのべて」は島崎藤村の「初恋」(若菜集)である。さて、この藤村に「書籍(ほん)」という奇妙な童話がある。こんな話だ。

 

「書籍(ほん)」

何もない草が路ばたの石のわきに咲いていました。

そこへ一人の学校の生徒が通りかかる。するとその草が呼び止めた。

「生徒さん、何をそんなに急いでいるのですか。」

生徒はびっくりしてこう答える。

「私はいろいろな本を読んでいろいろな人の生涯を旅したいと思っているのです。そこでこうして急いでいるのです。」

「それなら」野の花は語る。

「この石に腰掛けて見てください。読もうと思えば 本はこの石の上にありますよ。私は何もない草ですが、あなたのような人に読んでもらいたいと思って、こうして小さな本を広げているのです。」

よく見、よく聞くこと

◆現代は、なんでも安易に答えてくれるデジタル情報で溢れている。私たちはその情報で、全てを理解したと思いがちだ。詩人の感性が現代を予言していたかのようだ。そしてね「書籍」は、身近にあるものをよく見、耳を傾けることへの努力も欠かしてはならないぞと教えている。

◆実物へのアプローチ。よく見、よく聞くことで、何もない草花、どんなささやかなものからも、深い感動 深い言葉を見つけることができるのだと。あるいは、眠っている何か、思いもよらなかった真実を見出することができるのだとの詩人からのメッセージなのだ。

何一つ無駄なものはない

◆そのように自らを振り返る時、私たちの人生のどんな些細なできごとも、思い出も、一つとして無駄なものはないということにも気が付くだろう。喜びだけではなく、苦しみや悲しみ、あるいは平凡な日常の中にさえ、よりよく人生を生きるための深い感動 深い言葉が隠されているのだということを。

◆さてさて、頭でっかちの人間を戒めている藤村の「書籍」を読みながら、彼岸の今日1日を過ごした。と日記には書いておこう

今日も深呼吸と合掌とオンニコニコと一筆付箋写経

深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。

「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。

◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」といつでも清々しく保つための術「付箋写経」の輪橋山徒然話でした。

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