皮膚感覚ゼロ画面越しのふれあいと「仮面=ペルソナ」
◆SMSには、見過ごせない弊害がある。
◆私たちは画面越しにコミュニケーションを取ることが日常となった。しかし、この便利さの裏に隠れた弊害が今日の話題だ。一言で言えばSMSのやり取りでは、相手の声のトーンや表情、身振りなどの「皮膚感覚」「肌感覚」とも言える非言語的な情報が欠如しているということだ。
◆例えば、友人が「大丈夫?」とメッセージを送ってきたとしよう。これが面と向かっての会話なら、その声の温かさや表情から、心からの心配が伝わる。これが直接的な「肌感覚」た。実際にはテキストだけでは、その温かみや真意が伝わりづらい。「肌感覚」がないのだ。「肌感覚」や「皮膚感覚」なしのテキストだけでは、感情のニュアンスが薄れたり、誤解が生じやすくなるのだ。
◆もう一つSMSの返信を待つ間の不安も見逃せない。返信が遅れると、「何か問題があるのか」と思い悩むことがあるという。相当なストレスだともいう。「既読にすらならない」とは、「キレた」人間関係にも聞こえたりする。実際には相手が忙しいだけかもしれないが、その理由が画面からは読み取れない。この「デジタルな沈黙」は、不安や孤独感を引き起こすことがある。
◆さらに、SMSは瞬時に情報を伝えるが、その分、言葉選びに時間をかける余裕が失われがちだ。面と向かっての会話では、相手の反応を見ながら言葉を選び、調整することができる。しかし、SMSではそのプロセスが短縮され、誤解や衝突の原因となることさえもあるのだ。
◆こうした弊害は、私たちが「皮膚感覚」「肌感覚」でのコミュニケーションを取ることの大切さをもう一度思い出させる。そして、人間関係の構築には、言葉だけではなく、実は肌で感じる感覚が欠かせないのだ。
◆さて、直接のコミュニケーションに臆病になってはいないだろうか。
◆心理学には「ペルソナ」という用語があるのだが、「ペルソナ」とは昔の舞台俳優がかぶった仮面のことだ。心理学でいう、「仮面=ペルソナ」とは「社会に適応するための表面的な人格」のことだ。
◆心理学者の河合隼雄さんは「人はみな自分の物語で生きている」のだと言う。つまり、生きるということは、自分自身を演じる役者なのだと考えて「仮面=ペルソナ」をつけるということなのだ。
◆「仮面=ペルソナ」をつけるとはモード使い分けのスイッチと考えてよい。「社交モードスイッチ」や「孤高モードのスイッチ」それを演じる役者が「自分」なのだということだ。
◆そうして、勇気を持って一歩踏み出したところには「肌感覚」「皮膚感覚」のある自分の人生が待っているのだ。
★☆★☆★
#心は大山
#あなあさここ
#輪橋山徒然話
#地蔵さま
#SNSの弊害
#皮膚感覚
#肌感覚
#石仏
#寺庭
#秋の長雨
#時雨
#仮面_ペルソナ
#仮面 #ペルソナ
コメント