扇子を持ち、赤い服を着て皆さんを笑わせるこの方は漫談家の「綾小路きみまろ」さんだ。

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輪橋山徒然話 2023-1-8  自分の器

◆「しょせん幸せなんて自己申告」(2017 朝日出版)はこんな文章で始まっている。

若い頃はよく愚痴をこぼしていました。
あれから40年、今はご飯をこぼすようになりました。
時が経つのは早いものです。
2002年に「あれから40年」のフレーズとともにブレイクした私ですが、
あれから早15年。
おかげさまで、こうしてまたなんとか芸能界で生き残っております。
皆様はいかがですか? まだ生きてますか?

◆さて、どなたの口上でしょう。

◆そう、扇子を持ち、赤い服を着て皆さんを笑わせるこの方は漫談家の「綾小路きみまろ」さんだ。

◆「まだ生きてますか?」と結構ハードなことを言っている。

◆綾小路きみまろさんは言う。「世界で一番自分が不幸な人間のように感じられている夜に、ふと浮かんだフレーズのかずかずが、今の漫談の礎になっている」と。つまり、彼の漫談は、痛みを知っているどん底の人間のことばなのだ。だたの、自虐だけではない。そして、その毒を含む、正直な言葉は、お客さんを不快にしていないのだ。

◆なぜだろう。

綾小路きみまろさんの「しょせん幸せなんて自己申告」(2017 朝日出版)に次の話があった。

人には、それぞれの器があります。

おちょこだったり、茶碗だったり、バケツだったり、大きさはわかりません。しかしそれぞれに、ちゃんと受け止めるべきものがある。みんな何かの役割を持って生きているわけです。
父は、軍人の器ではなかったのでしょう。私もサラリーマンの器ではありませんでした。何が優れているという話ではありません。人それぞれ役割が違うのですから、器の形や大きさを比べても、意味はないのです。

私も、この顔とこの体、この性格に生まれたから、今の漫談をやれているところがあります。

この年になってタヌキみたいな顔になり、カツラをかぶって毒を吐くから、「あなたが言うならしょうがないね」と許されるのです。私は、私の器で、生きているんですね。人から好かれたり、愛されたりする人は、自分の器がどのようなものかよく分かっています…。

◆つまり、「自分の器」という「自分の役割」を理解しているからこそ、相手が自分に対して期待していることを、無理なく受け止め、その期待に応えられるというのだ。

◆会社だって全員が同じ仕事をしているわけではない。よい会社とは、人の器、個性を理解し、その人しか務まらない役割を見つけ、その上で、それぞれの長所短所を持ってして、補いあいながら働ける会社だ。つまり、全員で一つの大きな円を描くから会社は回っていくのだ。

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