「百見は一触に如かず」のプリンセスダイアナ
◆料理人には、調理手袋が似合わない。調理手袋はちょっと不精に見えたりするし、手袋の汚れは意外に落ちなかったりする。最悪なのは、黒くなった指先だ。
◆プロは魚の鮮度も野菜のよしあしも触れただけでわかるという。「肌感覚」とでもいうのだろう。
◆寿司は手酢をつけ、手を叩いてから握る。手酢は水とお酢を1:1で割ったものだ。酢は強い酸性なので、菌を殺す働きがある。だから常に手を殺菌しながら寿司を握れば手袋など必要はないのだ。手で魚の状態を見ながら捌く親方と手袋をして切った刺身…。そこに違いがあって当たり前だ。
◆昔から、「百聞は一見に如(し)かず」そして、「百見は一触に如かず」というではないか。つまり、「聞くより見る」、「見るより触れる」ことだ。触れることで相手を探る感覚に手袋は邪魔ではないのだろうか。
◆手袋をはずし、素肌で、握手することで感染症への偏見と戦った人がいる。
◆かのプリンセスダイアナ、ダイアナ元妃だ。彼女はセレブのドレスコードより、「素肌」を優先した。
◆それはまだ、HIVに関する知識が不完全だったころ、接触で感染するのではないかと怖がられていた。ダイアナ元妃は、HIVの子どもが暮らす孤児院を訪れ、そこで暮らす子どもたちと手袋をしない素手で握手をしたのだ。「HIVに感染している人と知り合うことは危険ではありません。彼らと握手し抱きしめることができるのです。彼らはそれを必要としているのです」とのメッセージとともに。
◆このHIV陽性の患者と素手で握手をした写真が、世界各地でセンセーショナルに報道された。この瞬間に立ち会った報道陣も固唾を飲んだともいわれている。また、ハンセン病患者と素手で握手をする写真もまた、偏見が激しかった当時、世界中に大きな衝撃と感動を与えた。
◆手袋をしなかった理由は「彼女(姉)は人とのふれあいを非常に大切にしていたため」と弟のチャールズ・スペンサー伯爵は語った。
◆「触覚」とは相手の心にも、自分の思考にも関係する。例えば寒い時に温かい飲み物を持てば幸せな気持ちになったように、ダイアナ元妃と握手した人の心は暖かくなったろう。
◆「百聞」は「一見」に如かず、それよりも、「一触」には「百見」を更に上回る力があるのだ。相手をもっと知るための「一触」には手袋は不要。そのことをプリンセスは実践したのだ。
◆手袋はある意味「偏見」のシンボルとも言えるかもしれない。もし、コロナ禍で生まれた偏見が、いたるところの手袋、あるいはマスクならば早く解放されたい。
◆いつもニコニコ怒りません。これがなかなか難しい。だからこそ「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。
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