「わらうとママそっくりだ」「悲しみのゴリラ」が教える供養
◆亡き者の魂と通じ合う供養とは何か考えた。
◆ママを亡くした男の子に「ゴリラ」が寄り添い、やさしく男の子を包み込み、彼の問いに答えていく。「ゴリラ」は「悲しみのゴリラ」と呼ばれる。
◆絵本『悲しみのゴリラ』から
男の子 「僕のママ 死んだんだよ 」
悲しみのゴリラ「そうだね、知っているよ」
男の子 「死んだってどうやってわかるの 」
悲しみのゴリラ「体が動かなくなるんだよ」
男の子 「心臓が止まるとか」
悲しみのゴリラ「そうだよ」
◆悲しみのゴリラとの対話の中で、やがて、男の子は母の死を乗り越えていくという話だ。
『悲しみのゴリラ』。(ジャッキー・アズーア・クレイマー作、シンディ・ダービー絵、落合恵子訳、クレヨンハウス)
◆鎌田實先生が「この国の壁」(潮新書)で紹介している絵本だ。
男の子は問う。そして、悲しみのゴリラは答える。
男の子 「みんな死ぬの」
悲しみのゴリラ「そう。だれだって、いつかは死ぬんだ…」
男の子「ママはどこにいるの」
「ママはもう 帰ってこないんだよね」
悲しみのゴリラは諭す。
「そうだね。でもいつかは君もわかるよ。ママはいつも一緒に居るんだって」
男の子は問う。
「いつになったら悲しくなくなるの」
悲しみのゴリラは答える
「ママがずっと一緒にいると分かった時だよ」
◆やがて、男の子は「ママがずっと一緒にいる」ことに気がついていく。そして、男の子の目はパパへも向けられていく…。
◆幼くても少年のように残されるもの、そのママのように愛するものを遺していくもの。生きていく上で一番の苦しみは愛する者との別れの苦しみである。「愛別離苦」という。
◆弘法大師の教えがある。
朝夕涙を流し
日夜に慟(いたみ)を含むといえども
亡き魂に益なし
◆あさに夕に涙を流し、昼も夜も嘆き悲しんでいても、亡くなった人の魂には何の益もないという意味だ。
◆それでは、魂を慰めるにはどうしたらいいのか。遺されしもののあり方を瀬戸内寂聴さんが法話で話されている。
残された人は嘆き悲しんでばかりいないで平常心を取り戻し、健康でよく働き、そして幸せに生きることが、何よりも先に亡くなった人の魂を慰めることになるのです。
さらに、一つ付け加えるとすれば、亡くなった人をいつまでも忘れないで、折に触れて思い出してあげてください。
先に亡くなった人は、後に残した人のことを忘れません。いつも近くから見つめてくれているのです。残された人は生きるのに忙しいからつい忘れてしまいます。その忙しい生活の中で亡くなった人を思い出すと「心と魂」が通じ合う。それが本当の供養になるのです。
◆ママは、後に残した人のことを忘れない。目には見えないけれどもそこにいる。だから、先に逝ってしまったあの人も人を思い出すと通じ合える。これが供養なのだ。
◆だから、男の子はママが遺した宝物に気がつく。「ママも僕も野球が好きだ」ということ。「ママと僕とでヒナギクを植えたこと」。そして、パパが教えてくれた「わらうとママそっくりだ」ということ。ぼくはママが一緒にいることを。
いつもニコニコハラタイマイゾヤソワカ。 加筆修正 再post
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