般若心経の「無明」とは、明かりがないという意味だ。そこにあかりが差したという話。

ネグレクト泣きそうそう
Lonely toddler child standing in front of a window looking outside

輪橋山徒然話2024-3-23.「ひとつのねがい」

◆般若心経の「無無明亦 無無明尽 むむみょうやく むむみょうじん」の無明とは、明かりがないという意味だ。真っ暗な闇の中にいるということ。迷いの中にいるともいう。今朝はその無明に光がさした話。

◆「泣いた赤鬼」の作者である浜田広介が120年以上も前に書いた「ひとつのねがい」という話がある。

「ひとつのねがい」

◆主人公は年老いてよぼよぼになった街灯だ。話は゜街灯の嘆きと諦めから始まる。

街灯は、「年をとって、たおれることは、この、おれひとりじゃない。
みんな、そうなんだ。
二本足の人間だって、きっと、それに、ちがいない」
と思うのが、男らしい諦めなんだと決めていた。

◆ところが、本当は、なかなか諦めきれない。実は街灯には願いが一つあったのだ

「一生に、たった一度だけでいい、星のような、あかりくらいになってみたい」

◆しかし、それは無理なことも知っていた。街灯は、自分で自分を慰める。

「もうもう、かまわない。
星のようにみえなくたっても、おれは、ただ、だまって光っておればよい。
それが、おれのつとめなのだ。
このままで、この一生がおわってしまう。
れでよい。」

◆「それでよい」。街灯の心に静かに湧きあがってきた思いだ。そして、気を引き締めて、頭をしっかり持ちあげた。そこにはみすぼらしくても背筋を伸ばし「立派」な街灯がある。

そこへ、父と息子の親子が通りかかり、息子が「とうさん、ここんとこ あかるいね」と言うと、父親も「ああ、これがなくっちゃ あるけない。こんな晩には、わけても、なおさらさ。」と応える。

◆電灯を認める親子の声。さらに続く。

真っ暗な雲の切れ間に星を見つけて「あの星よりも、あかるいなあ。」と息子が声を上げる。
強い風邪に必死で耐えていた街灯は、「かなった。かなった。おれのねがいが。」我を忘れて、叫ぶ。

◆次の日の朝倒れている街灯があるが、誰も目を止めない。

◆120年以上前の童話だ。人間誰しもが抱える悩みや苦しみは不変であるということがよくわかる。年老いて寂寥感のなかで健気な街灯に起きた小さな奇跡は、読むものに感動を与える。

◆この話に学ばねばならないことが三つあると思う。

◆一つは「人生」を締めくくるということだ。その条件は「自己受容」。つまり、年をとることは避けられない自然の過程であり、その中にある自分を受け入れることだ。

◆二つ目は、自分自身の生き方として「目指すべきもの」を持つこと。街灯の場合は「星のような、あかりくらいになってみたい」という願いだ。幾つになっても何かを追求するという姿勢だ。それが、人としての本質なのだ。

◆三つ目は「他とのつながり」だ。他者によって認められ、自身の存在価値を認識し、孤独から逃れた。いかなる場合も、他者は、自分自身の存在価値を見つける助けとなるのだ。

※ひとつのねがい 浜田広介 絵 しまだ・しほさん 理論社

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