2024-2-23 「二十四度殺された老婆」
◆今でこそ百歳を超える人は多いが、三十年も前だとなかなかいなかった。
◆ある檀家のおばあさまが百歳まであとわずかで逝かれた。寝込むこともなく大往生だった。このおばあさんは毎年秋の終わりには先祖供養にと私を呼ぶ。すると毎度、もう一人の方と昔話を始める。その話の面白いこと。経は短く、茶のみ話は長くではないが席を立つのを忘れ、思わぬ長居をしてしまうこともあった。
◆着物(和服)姿でニコニコしている方だった。洋服姿など見たことはなかった。あるとき生意気にも私が「いつもニコニコしていいですね」と話しかけるとこんな言葉が返ってきた。
「私でも、長生きすればするほど、一人夜、涙を流して、枕を濡らすことがあるのですよ…」
◆「二十四度殺された老婆」という高森顕徹師の話がある。この檀家のおばあさまの話と重なる。
◆次のような話だ。
丹波の国(京都府)に、120歳をこえた老婆がいた。
ある人が、老婆を訪ねてきいた。
「長い一生にはどんなにか、珍しいことや、おもしろいことがあったでしょう。その思い出の一つをきかせてくださらんか」
老婆は、首を横にふりふり答えた。
「それは種々あったが、年寄ると頭がぼけて、みんな忘れてしもうた」
120歳にもなれば無理からぬこと、とは思いながらも、
「それでもなにか一つぐらい、思い出がおありにならんか」
再度、たずねた。
「そんなにまで言われれば、話そうか。24度殺された、つらい思い出だけは、あるわいな」
しわくちゃの顔をしかめて、老婆はつぶやくように言う。
現に生きている人が、24度殺されたとは、いったい、どんなことか、とたずねると、ポツリポツリと老婆は語り始めた。
「この年になるまで私は、たくさんの子供を産み、多くの孫ができ、ひ孫もできた。ところが老少不定のならいで、子供が先立ち、孫が死に、ひ孫が死んで、内より24人の葬式を出した。そのたびに、悔やみにくる人たちは、私の前では言わんが、隣の部屋で〝ここの婆さんとかわっておればよかったのに〟と言っているのが聞こえてくる。他人さまは、まだ遠慮して陰で言っとるが、孫やひ孫は面前で言いよる。そのたびに、私は殺されたんじゃ」
しみじみと、老婆は物語るのであった。
-略- (高森顕徹師の『光に向かって100の花束』の47番より)
◆人は皆定められた命、「定命」を生きねばならない。長く生きれば、それだけ先に逝くものを送らねばならないのだ。それこそ、辛い役目なのだ。しかも、24人。長く生きれば生きるほど葬式はすべて「逆縁」となる。
◆長生きすることの辛さを寺の後継ぎである私にだけ、そっと檀家のおばあさまは教えてくれたのだ。一緒に暮らす自分の息子にも孫にもきっと言わなかったことだろう。
※写真は「ナツズイセン」去年の写真です。
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