「仏心とはなんぞや」を明らかにするために「煩悩」
◆一つ前の投稿では、茂木健一郎さんの小学校6年生の国語に掲載された「感情」を取り上げた。その中で、進化の意味に関連させて、実は、「仏心とはなんぞや」を明らかにするために「煩悩」があるのではなかろうか。だから、「煩悩」は進化の過程で淘汰されずに残っているのではないかとまとめた。茂木健一郎さんの「感情」にこの話も付け加えたい。「バンドラの箱」の話である。
◆4つの孫がこの話を聞いていた。ずいぶんと難しい話を聞いていると感心した。このような話だった。(「しまじろうのわお!バンドラの箱」より)
バンドラの箱
◆むかしむかしの大昔、まだこの世に嫌なことなど何もなく、病気も争いごともなかった頃、人々はケンカもせず、仕事もせず、毎日おいしい木イチゴを食べたりしながら幸せに暮らしていました。
◆そんなある日、エピメテウスという男の子の家に、パンドラという可愛い女の子がやってきました。
◆エピメテウスとパンドラは毎日楽しく遊んでいましたが、ある日パンドラは、兄のプロメテウスが留守の間に、「絶対に開けてはいけない」と言われていた大きな箱を開けてしまったのです。
◆すると箱からは嫌なことや恐ろしいことが次々と飛び出てきて、それ以来、人々は病気になったり、ケンカをしたり、年をとるようになってしまったのです。
◆ところが、箱の中には光かがやく「希望」という小さな女神が残っていました。そして、どんなに嫌なことがあっても、いつだって自分がいることを、パンドラに伝えたのでした。
四苦八苦
◆さて、「嫌なことや恐ろしいことが次々と飛び出てきて、それ以来、人々は病気になったり、ケンカをしたり、年をとるように…」これは、仏教で言う「四苦八苦」である。
◆「四苦八苦」とは、生・老・病・死の四苦に合わせて、「愛するものと別れなければならない(愛別離苦)」、「怨(うら)み憎むものと出会わなければならない(怨憎会苦)」、「求めても得られない(求不得苦)」、「いっさいは苦に満ちている(五蘊盛苦)」の四つをあわせての八苦である。
バンドラの箱の希望
◆自分の人生には苦しみなどいらない誰でも思う。しかし、苦しみを知らない人間は、希望の光を見ることはない。人間は「バンドラの箱」を開けたがために「四苦八苦」を知り、そして苦しみの先にある「どうしようもない絶望」も知る。だからこそ、人間はその絶望の先にある「希望」も見ることができるのだとバンドラの箱は教えている。生きとし生きるもの中で、「苦」の先にある「希望」を人間だけが見ることができるのだと。
◆そう考えると、「苦」が消し去られた、「まだこの世に嫌なことなど何もなく、病気も争いごともなかった頃、人々はケンカもせず、仕事もせず、毎日おいしい木イチゴを食べたりしていた」世界に戻し、そこで生きることは、実は、人間が人間たることを放棄したとも言えるのかもしれない。
◆大切なのは、私たちを取り巻く「苦」に気がつき、「苦」を生み出す原因を考え、それを明らかにし、一つひとつ丁寧に乗り越え、人間であることを完成していくための糸口していくことなのだと気づくことだと思う。
◆もしも今、「苦」の中にあると感じているのであれば、それは、あなた自身を高める人格の形成の「縁」なのだと思って、開き直ってやるしかない。
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