ぼっち」の選択
今回の術(すべ)は「遠離る」
◆さて、問題である。「遠離る」はなんと読んだらいいだろう。
◆意味は、「だんだん遠くに離れていく」、しかし、物理的に離れる場合だけでなく「人と人が疎遠になっていく」という意味にも使う。
◆正解は、「とおざかる」と読む。
遺教経にあるお釈迦さまの最期の教え「遠離(おんり)」
◆二字の熟語にすると「遠離(おんり)」。遺教経(ゆいきょうきょう)八大人覚の「少欲(しょうよく)」「知足(ちそく)」の次である。
◆簡単に言うと賑やかで騒がしいところから離れ、心穏やかに過ごせよという教えだ。しかし、「遠離」とは、もちろん山奥で一人生活せよということではない。
現代人のSNS依存と無表情
◆現代の「憒閙」といえばSNSへの「依存」が考えられる。街中にあふれる彼らは周囲と断絶し、情報機器を片時も離さない。始終操作している。側からみるとどの顔も「無表情」だ。とり憑かれたようにも見える。(以前、お葬式の弔辞も手元のスマホを見ながらしていたのにはさすがに驚いた。)
◆SNSの向こう側は現実ではなく、バーチャル・仮想空間なのだということは、誰しもが理解しているし、スマホはただの道具だ。それだから、無表情なのだろう。しかし、それにしてはあの表情は気になる。
「依存」しているのに大嫌い?なのに「依存」?
◆そのヒントは「依存」ということばにある。たとえば「アル中=アルコール依存症」になった人は、酒は浴びるほど飲むのに、酒は大嫌いだという。「ニコチン中毒」の人も「たばこ」が大嫌いだという。それでも、アルコールに頼り、ニコチンを接種する。それが「依存」なのだ。同じようにSNS依存となればSNSが大嫌いなのだろう。それが、あの表情だ。
◆なぜ、大嫌いなSNS依存に依存するのだろうか。それは、周りに合わせなければ自分を保てなくなる「恐れ」からだという。「LINE外し」などがその一例だ。
今日提案する術は「ぼっちを選択」してでも「遠離る」こと!!
◆しかし、自分が「中毒・依存」なりたくなければ、一旦離れて「深呼吸」でも「オンニコニコ」でもよい。10分坐禅をしてみるのもよい。それに加えて「仮想空間でのぼっちの選択」、「SNSから遠離る」ことを本日は勧めたい。無理して人に合わせるよりも「(独り)ぼっち」の方が自由だという発想を持つのだ。「(独り)ぼっち」でリセットするだ。
◆「ひとりになること」「孤独を恐れず」時には雑音から離れて、静かに自己を見つめる時間を持てというのが「遠離」の教えだ。他人に合わせるのではなく、自分と向き合うことを大事にせよということだ
今日も深呼吸と合掌とオンニコニコで
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
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