「花さき山」とは 絵本に学ぶ
◆「花さき山」は斎藤隆介さんの童話だ。挿絵は滝平次郎さん。「彼岸花」の切り絵が目を奪う。
◆大人の社会の構図には思いやりの心や信じる気持ちが失われている。いや、思いやりの心や信じる気持ちがなくなったから大人なのか、そんなことを考えさせる絵本だ。
兄のやさしさ
◆双子の赤ん坊の兄が、「自分もおっぱいを飲みたいのに、お兄ちゃんなんだから」と自分に言い聞かせて我慢している。弟が母さんのおっばいを飲んでいるのを目にいっぱい涙を溜めながらじっと見ている。すると、花さきやまに一つ花が咲く。
花さき山の秘密
◆10歳の少女あやは、お祭りのご馳走の山菜を取りに行った山で、村人から恐れられている白髪の「山ンば」と出会いう。そこには、今まで見たこともない、美しい花が一面に咲いていた。「山ンば」は、山に咲き乱れる一面の花を指差しながら、「つらいのを辛抱して、自分のことより人のことを思って、涙をいっぱいためて辛抱すると、その優しさとけなげさが、こうして花になって咲き出すと教える。そして、足元に咲いている赤い「花」は、あやが母親や妹のことを思って着物を買ってもらうのを辛抱した時に咲いた花だという。
◆さらに、“やまんば”、「命を捨てて優しいことをしたときに、山が生まれる。うそではない、本当のことだ…」と。
「自分もそうあろう・ありたいと思わせる」力
◆他人を思いやる気持ちは、子どもに教えたくても、教えるのはとても難しい。言葉で言ってもなかなか伝わらない。しかし、この本は、子どもたちに「自分もそうあろう・ありたいと思わせる」力がある。みなが正統派になる。
◆実際に授業すると、小学4年生の子どもたちは、大人がどう思おうが、私は「あや」と同じという感想落ち着く。「あっ!いま花さき山で、おらの花がさいてるな」が受け入れられる。それは、(そんな話は嘘だと笑われても)自分の行為(涙をいっぱいためて辛抱)によって、花がどこかで咲いたと、自分を褒めて、認めて、誇らしく思う姿への共感なのだ。だから、どうしたら花さき山が、花が咲くのか考える。どうしたら花でいっぱいになるだろうと考える。自分は何をしようか考える。まさに、仏のこころの実践だ。
私も含めた大人諸君へ
◆私も含めた大人諸君「誰の心にも仏さまがいる」のだ。「誰の心にも仏さまがいたのだ」ではない。もし、ご自分の心の「仏さま」を感じることができないのであれば、取り戻さなければならない。
◆まずは、「深呼吸」と「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
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