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でも、ママがいないことで、私よりもっと傷ついていたのは、 たーくんとヨーコだった。

輪橋山 泣きそうそう 2024-9-25. 「たーくん、行くよ♪」 ◆ママがいなくなって、もう十年が経つね。 ◆あの日々が、まるで昨日のことのように、今でも鮮明に思い出される。 ママがいなくなって最初の一年、私はどうして良いか...
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「あきなちゃんのお弁当」を教訓にして、弱いものに寄り添える先生になれるようにしていくと決心した。

輪橋山徒然話 2024-9-19.  「花のお弁当」 ◆遠足の日の朝の教室は格別だ。 どの子も生きいきとしている。 有難い。 欠席はいないかな。 私は、それを確かめながら教室を見渡した。 あれっ、私は彼女の姿を見つけ...
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母とはこういうものです 親とはそういうものです ありがたい ありがたいものです

輪橋山徒然話 2024-9-20「姥捨」 もうすぐ冬がきます その村らは 悲しい習わしがありました 村の大事な掟でした だから自分だけが守らないわけには いきませんでした。 とうとうその日がやってきました。 その掟と...
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その時に触れた母の手は、ざらついてはいたが柔らかな手、湿った手のぬくもりがあった。

輪橋山徒然話 2024-8-31  神様がたった一度だけ 「チクショウ。 もう食わねえ、くそばばあ。 おれなんかどうなったっていいんだ。 産んでくれなけりゃよかったんだ。」 母は泣いていましたよ。 よほど悔しかったのか、...
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私の「鬱」という漢字の覚え方は「リンカーン大統領」というユニークな覚え方です

輪橋山徒然話 2024-8-22. 「鬱」の書き方 ◆親戚に「漢字」と「国旗」と「高速道路のインターチェンジ」が大好きな小学生がいました。この子は、小学校に入学する前から漢字ドリルや漢検の本に夢中になっていました。たまに遊びに来る...
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「ジハイドロゲンモノオキサイドの使用を禁止せよ」と「シングピッチンオン効果」

輪橋山徒然話 2024-8-21    嘘ではないが、真実でもない情報の怖さ 「ジハイドロゲンモノオキサイドの使用を禁止せよ」 ◆1997年、アイダホ州の中学生ネイサン・ゾナーは「ジハイドロゲンモノオキサイドの使用を禁止せよ」と...
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「絶望」があったからこそ、「幸せ」を見つけられという中村久子。「人」とは、どこまでも強く、気高い。

「手はなくも 足はなくともみ仏の」2024/8/1 手はなくも 足はなくともみ仏の そでにくるまる身は安きかな  中村久子 ◆ケラー女史は私の側に寄り、熱い接吻をされました。そしてそっと両手で私の両肩から下へ撫でて下さる時、...
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悩み事が解決できればすっきりする。誰でもがそれを望む。しかし、それほど単純ではない。

二ーバーの祈り ニーバーの祈り(Serenity Prayer) 大木秀雄 訳 神よ、 変えることのできるものについて、 それを変えるだけの勇気を我に与えたまえ。 変えることのできないものについては、 それを受け入れる...
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「生きることが辛い」そんな気持ちになったときに思い出してほしいお話がある。

輪橋山徒然話 2025-6-25 「一握りの土(ヴァン・ダイク)」 ◆松山千春さんの「大空と大地の中で」に、「生きることが辛いとか 苦しいだとかいう前に」という歌詞がある。「野に育つ花ならば」と続くのだが、「生きることが辛い」そん...
いのち

瞬間を切り取ったという写真を共有し、五七五にする今風の俳句とは少し趣きが違う去来と千子の蛍の句

輪橋山徒然話 2024-6-14. 「蛍」 ◆子どもの頃は、蚊帳を吊ってその中で眠った。蚊帳の色は深い翠色。吊った蚊帳の上に、袋に入れた蛍を置く。電気を消して、その小さな光をみながら眠った。 ◆朝になると蛍は、いなくなっていた。...
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