「自分だけは特別と考える人間の本性」に引き続き、「人間の本性(三毒)の役割」

蝶ブログ

人間の本性(三毒)の役割」

◆今朝のプログは、昨日の「自分だけは特別と考える人間の本性」に引き続き、「についてこの取り上げてみた。

◆おはようございます。朝活応援、あなたの朝のこころにアプローチ。今朝も、オンニコニコで大事な1日のスタートをさせましょう。

茂木健一郎さんの「感情」から

◆現行の教科書にもあるのだろうか。10年くらい前の国語の教科書 (光村図書6年生)に、脳学者である茂木健一郎(最近の動画)さんの「感情」という文章があった。

◆この文章は「多様な感情をもつ自分自身を認め、受け止めよう」という多感な12歳の子どもたちへのメッセージである。

◆茂木健一郎さんは説く。『長い進化の歴史の中で、「不安」や「後悔」などの感情が全く役に立たなければ、それをもっていた祖先はいなくなり、そのような感情は残らなかったはずだ。「喜び」、「希望」、「安心」、「悲しみ」、「不安」、「後悔」、「いかり」などの感情は、実は、「よりよく生きていくうえ」で大切なものなのだ。さまざまな感情をもつことは、人生で起きるさまざまな出来事に対応する力になるのだ』と。

◆つまり、マイナスの感情(「不安」、「後悔」、「いかり」)にも「大切な役割」があるというのだ。もしも、役割がなかったら進化の過程で、それらの感情は人間から「なくなっているはずだ」というのだ。かつて、私たちのおしりにあった「しっぽ」のように。

三毒の煩悩「貪瞋痴」にあてはめると

◆であるならば、三毒の煩悩「貪瞋痴」のについてもそう考えることができるのではないか。

◆まず、「貪瞋痴」。貪(とん)は、「むさぼること」。貪欲に際限なくあれこれ欲すること。瞋(じん)は、「感情をぶちまけること」。不快なものに対して激しく怒ったり、妬んだり、恨んだりすること。最後の痴(ち)とは、「無知」であること。自己弁護に走り、常識知らず、自己利益しか考えないようなことだ。

そして、「三毒の煩悩」対峙する「戒めの心」とは

◆お釈迦さまが教えるのは、「三毒の煩悩」対峙する「戒めの心」である。この「戒めの心」が、「三毒の煩悩」の愚かさを包み、飲み込み、治めるのである。この「戒めの心」を磨くには、その「三毒の煩悩」の出所をよく観て、一つひとつその因果を明らかにすることが大切になってくる。

◆それを繰り返すうちに「煩悩」とは、私たちが本来持っている仏心が、愚かなる三毒のなんらかに、からめとられ、執われて、こり固まっただけのものだということがわかってくるはずだ。

◆つまり、「仏心とはなんぞや」を明らかにするために「煩悩」があり、「煩悩とはなんぞや」とを明らかにするために「三毒の感情の役割」があるのではないか。Aに気が付くとBを知り…そんなことを考えた。

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