孤独とのオサラバする術
離れても、そっと心の奥の置き場所に
◆その人は、大切な人を亡くした悲しみに押しつぶされそうに見えた。救急に入ったときから、いや、病気を告知されたときから、そっと泣いていたのだろう。
◆闘病生活、あの夫婦だったらこんな会話だったろう。
「痛いでしょう」(痛みは薄らいだよ)
「苦しいでしょう」(さっきより楽だよ)
「楽しかったね」(楽しかったよ)
「…」(大丈夫だよ。ありがとう)
◆非常に苦しい闘病生活と聞いた。
◆そうして、命は尽きるが、思いは、家族一人ひとりの心の中に収められる。心の奥の置き場所にそっと置かれる。
いると思って思い出している
◆「ふぞろいの林檎たち」の脚本家である山田太一さんに「空との対話」(神奈川新聞2015 /9 /14)というエッセーがある。偶然に老人施設で出会えた人と山田太一さんの交流だ。
「それは妻を失い、子供の世話になる訳にもいかない男の決心して入居したホームでの孤独、喜びの少なさもクッキリ感じさせるものだった」が、 そんなことをものともせず 明るく今の喜びを語っていた。
(略)
「話し相手ができてよかったな」 (山田太一)
「このあいだ救急車で運ばれてったよ」
「その人が」
「それっきりだ」
「そう」
「そういうもんだ。しかし、いると思って思い出している。そうなりゃ強いもんだ。女房だろうと、母親だろうと、こっちの都合でどうにでもなる。いい思い出ばっかりだ」
◆「妻を失い、子供の世話になる訳にいかない孤独な男」は、「心の奥の置き場所にそっと置いた」人との交流の方法を教えている。それは、「いると思って思い出す」「ここにいると持って話をする」こと。さすれば、いい関係がまだまだ続くと。いい人生だと思えることがまだまだ増えていくのだと。
天気とでさえも、よき友人になれる
◆そして、この話はこう結ばれている。
「このごろは天気と話をしている。朝、カーテンをあけると、天気が言うんだ。今日はうす曇にしといた。あんたのためだけにな、と」
◆幼子が風とはなしをするように「いると思って話をすれば」天気とでさえも、よき友人になれるのだ。これこそ、全てに心を開き、孤独とはオサラバする術なのだ
今日も深呼吸と合掌とオンニコニコで
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
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